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home pageは和製英語か [言葉]

The American Heritage Dictionary: Fifth Edition
The AMERICAN HERITAGE dictionary 第5版。私が持ってるのは第4版。

日曜日の「スクール革命!」のコーナーで,「和製英語はどっちか?」みたいなクイズをやっていた。大体は知っている話だったのだが,1つびっくりしたことが。企業のホームページ,などという時の"home page"が,和製英語だというのだ。だから英語圏では通用しないとも。本当か? 私はこれまで,メールなどで普通に"home page"って使ってたぞ? それで誤解されてるフシもなかったぞ?

番組によれば,"home page"という英語はあるが,それはブラウザを起動した時に最初に表示される「ブラウザ・ホーム」のことだと言う。それは確かにそうとも言うけど,ブラウザ・ホームなんて話題,日常ではまず出てこない。私など,ブラウザ・ホームは常にabout:blank(空白ページ)なので,そもそもブラウザ・ホームなんて気にすることがない。

まぁ,主観でものを言っても始まらないので,調べてみることにした。まずは,iPhoneに入れてある,"Collins COBUILD Advanced Dictionary of American English"。所謂英英辞典だ。"home page"の項目を抜粋すると

On the Internet, a person's or organization's home page is the main page of information about them, which often contains links to other pages about them.

普通に,「個人や企業のメイン・ページ」って書いてあるけど? それじゃ,もう一つ。ペーパーバック版の"The AMERICAN HERITAGE dictionary"。

The main page of a website, usu. providing information about the site.

「Webサイトのメイン・ページで,通常そのサイトに関する情報を提供している」とな。おやおや。日本で使っている意味では通用しないって言ってたけど,日本で使っている意味が,USの人の使う「国語辞典」に載ってるんですけど。起源が「和製」なのかどうかは分からないけど,少なくとも通用しないというのは真っ赤な嘘ですな。和製英語がUSで定着するなんて,もっとありそうもない話だけど。その時の「先生」にはパックンもいたんだけど,すっかり日本人に同化してしまったか,古い英語のままアップデートされていないのかも。IT用語なんてどんどん変化していくものだからね。

因みに,"HP"と略すと"Hewlett-Packard"のことと間違えるので,前後関係で誤解が生じないように注意しましょう,なんてどこかに書いてあった。ホームページとHewlett-Packardを混同するようなコンテキストはそうそうないと思うけど。「HPのHP」とか? :-)

そんなわけで,今更だけど,TVで言ってることなんて,鵜呑みにしちゃいけないよ,というお話。


Showrooming [言葉]

某番組で観て初めて知った,"Showrooming"という言葉。実店舗で商品の現物を確認した上で,その店舗ではなく,ネット・ショップで購入することを言うらしい。私自身,実際によくやっているのだが,世界的にもそういう人がかなり多いということなのだろう。

ネット・ショップで買う理由は,実店舗よりお得なことが多いから。最近は送料が無料の店も多いし,配送も速い。通販のデメリットが最小化された上で,いろいろ調べて一番安い店で買うことが出来る。メーカー製品など,買うものが全く同じなら,どこで買っても一緒だから,安いに越したことはない。それに,店頭の展示品と違って,不特定多数の買い物客の手に触れていないものを買えるという安心感もある。特に書籍など,店頭に陳列されているものは,ちょっとした傷や折り目などが付いていることは多い。神経質・潔癖症と言えばそれまでだが,同じお金を出す以上,やはり気になる。だから,ついついネットで購入することが多くなる。

書籍で言えば,実店舗では通常定価販売で,ポイントなどもつかないが,例えばhontoというネット書店では,1%相当のポイントが付く上,キャンペーン等で10数%の追加ポイントをもらえることがある。ポイントというのは,割引に比べると,実質的な割引率では劣るが,それでも割引のない実店舗より明らかにお得だ。そんな訳で,ここ数年は,よほど急ぎでない限り,書店で本を買わなくなってしまった。まさに,"Showrooming"なのである。

こういうスタイルは,今後ますます割合を増すはずだ。実店舗は,スタッフの人件費や店舗維持のための費用がかかる上,結構多いという,万引きの被害なども考慮する必要があり,経営上いろいろ大変なところはあると思う。しかし,何か抜本的な対策を講じないと,存在自体が難しくなっていくのではないだろうか。実店舗がなくなると,Showroomingが出来なくなってしまうので,それはそれで困るのだが。

ところで,1週間ほど前の事だったか,近所の書店に立ち寄った時,新刊書コーナーで,ちょっと良さ気な本を見つけた。もちろんその場では購入せず,ネット書店で買うつもりで帰ったのだが,後日検索してみると,それらしき本が見つからない。迂闊にも,タイトルはおろか,著者名すらメモしておかなかったので,正確な検索も出来ない。これは,もう一度書店に見に行かなければ,と思ったのだが,なかなか機会がなく,今日ようやく行くことが出来た。ところが,ちょうど新刊発売日を間に挟んでいたらしく,新刊コーナーの陳列が一変してしまっていた。結局,探していた本は見つからずじまい。Showroomingをするなら,しっかり買うものの情報を記録しておくのが肝要という教訓を得た次第。


結果より過程が大事? [言葉]

先日,新人向けのソフトウェア開発プロセスの研修資料を手直ししていた時に,ふと思ったこと。

よく,結果が芳しくなかった人に,大事なのは結果よりその過程だから,なんて慰めることがある。「過程」とは「プロセス」のことだ。ソフトウェア開発に限らず,ビジネスに於いて「プロセス」が重要な役割を果たすことは多い。ここで,「プロセス」というのは,最善の結果をもたらすために,従うべき手順を規定したものだ。IEEEといった国際標準などでも,そんな風に定義されている。

ビジネスでは,勿論結果が重要な訳だが,たまたま運が良くて成功したというのでは困る。継続性・再現性がないからだ。毎度毎度,運だけで成功するはずはない。だから,「プロセス」を定義する。プロセスに従った結果,失敗に終われば,それはプロセスが良くなかったということだ。だからプロセスを改善する。そういうことの繰り返しで,プロセスのクォリティが向上し,結果が成功する確率も上がっていくのである。

つまり,「過程が重要」というところは正しい。しかし,結果が失敗であれば,過程も良くなかったことになるので,「過程は良いが,結果が悪い」というのは矛盾している。そう考えると,慰めの言葉は,やはり単なる気休めだというのが分かる。これを真に受けて,次こそは結果を出そう,と同じプロセスでしゃかりきに頑張っても,また失敗に終わる可能性が高い。やはり,失敗したことを真摯に受け止めて,反省することが大事ということだ。


舌足らず [言葉]

美しい日本語の響き―母国語を知り、外国語を学ぶためのレッスン
「美しい日本語の響き」。これって,昔懐かしき「クイズ・ダービー」の篠沢教授の本なのか。ご病気で大変だったみたいですな。

最近,TVを見ていてかなり気になっているのは,「手術」の発音。ドラマの俳優や,バラエティの芸人は勿論,ニュースを読むアナウンサーまで,皆明らかに「しゅずつ」と言っているのだ。確かに,「しゅじゅつ」は発音しにくいけれど,「しゅじゅつ」と言おうと努力して,その結果「しゅずつ」になってしまっているのではなく,端からそう発音するつもりで「しゅずつ」と言っているように聞こえる。「しゅじゅつ」と発音することを,初めから諦めてしまっているみたいなのだ。これは一体どういうことなんだろう。

そもそも,そんなに難しい発音だろうか。早口言葉でもあるまいに,言って言えない言葉ではないはず。一般人ならいざ知らず,発音の訓練を受けているアナウンサーが,こんな単語も正しく発音できないのだろうか。情けない話だ。

同様に違和感を感じる人もいるらしく,こんな記事を見つけた。この人は,放送文化研究所や民放TV局に取材したそうだ。それによると,NHKでは,「しゅずつ」と聞こえたとしても,「しゅじゅつ」と発音しようとしているはず,と言っているらしい。そりゃ嘘だね。「じゅ」と発音しようとして,あんなはっきりとした「ず」になるはずがない。「ゅ」の名残もないのだから。一方,民放局は,「しゅずつ」でもオンエアOKという基準らしい。ほら,やっぱり諦めてるんじゃないか。

確かに,言葉は生き物であり,人々が実際に生活の中で使っていく内に,徐々に滑らかに発音できるよう変わっていくものである。音便なんかはその例だろう。しかし,「しゅじゅつ」→「しゅずつ」を同じと考えて良いのだろうか。あくまでも「術」なのである。「術」を「ずつ」と読むのか? どう考えても美しくない。

あくまでも想像だが,無理に「しゅじゅつ」と言おうとすると,「しゅじゅちゅ」になってしまいがちなので,それでは恥ずかしいから,「しゅずつ」でOK,とお茶を濁しているのではないか。少なくとも,TV以外で,あんなにクリアに「しゅずつ」なんて発音するのを聞いたことはない。これは生活の中で自然と変化するのとは違って,もはや意図的な言葉の破壊である。そして,破壊の中心的役割を果たしているのは,またしてもマス・メディア,「TV」なのである。日本人はTVの影響を受けやすい。TVを見た人が勘違いして,「しゅずつ」が定着していってしまっては悲劇だ。

日本語は,正しく上手く使えば,とても音の美しい言語なのだがね。そういうことを大事に思う人間は,徐々に減っていっているのだろうか。


my 2 cents [言葉]

メリーポピンズ スペシャル・エディション [DVD]
"タペンス"繋がりで,「メリー・ポピンズ」のDVD。

一緒に仕事をしているUSのメンバーで,メールに時々"my 2 cents"という言葉を使ってくる人がいる。2セントとは,金額としても余りに安いし(今のレートだと2円以下),文脈からも,自分のこれから述べようとしている意見が,2セントの価値しかない,と謙遜していう時の決まり文句のようなものだということは分かる。英辞郎にも「自分の意見」と「つまらないもの」という2つの訳が載っている。しかし,気になるのは,何故1セントではなく2セントなのか,ということ。ただ安ければよいのなら,1セントの方がキリが良い。

英語版のWikipediaで調べてみたところ,語源には諸説あるらしい。元々はUKで使われていた言葉で,金額の単位は"セント"ではなく"ペニー(複数形はペンス)"だったようだ。で,ポーカーの1ゲームの参加料(ante)が2ペンスだったとする説があるそうだが,Wikipediaでは根拠となる資料はないとしている。

その代わりに,最初に挙げているのが"Lesson of the widow's mite"という聖書の中のお話。賽銭箱に群衆が金を投げ入れている時に,1人の貧しい未亡人がコインを2枚だけ箱に入れた。それを見ていたイエスは,大金持ちが投じた大金よりも,未亡人の全財産である2枚のコインの方が価値がある,と弟子に話したというお話だ。「マルコによる福音書」の12章,「ルカによる福音書」の21章に含まれている。「マイト(mite)」というのは,エルサレムで使われていた昔の通貨の最小単位らしい。ここから,UK,USそれぞれの最小通貨単位ペニーとセントのコイン「2枚」となったという説である。もっともこれだと,金額は安いけど,価値が高い,ということになって,全く謙遜になっていない気もするのだが。

この他,別の英語の表現である"a penny for your thoughts"との関連性を指摘する説もあるようだ。この表現は,何か考え込んで黙りこくっている人に対して,何を考えているのかを問う時の決まり文句である。1ペニー払ったら,1ペニー余分に2ペンス返って来た,ってところだろうか。これはこれで,なかなか洒落が効いていて面白い。

結局,どれが本当の語源かは分からないが,ちょっとしたことでもやっぱり何かしら謂われがある訳で,こういうのを調べてみると楽しいですな。

因みに,「2ペンス」は普通,英語で"two pence"と書くのだが,くっついて"twopence"になると,発音も「タペンス」のように変化し,さらに発音に合わせて綴りも変化して,"tuppence"という単語が存在する。こういうのがまた英語の面白いところ。日本人がこれだけ見たら,別の単語かと思うよねぇ。ところでこの「タペンス」,どこかで聞いたことがあると思ったら,ディズニー映画「メリー・ポピンズ」の中に,聖堂の前で鳩の餌を売っている老婆のシーンがあって,そこでジュリー・アンドリュースが歌っていた"Feed the Birds(邦題:2ペンスを鳩に)"の歌詞に何度も出て来たのだった。"Tuppence, tuppence, tuppence a bag."と歌う部分が,妙に印象に残っている。2ペンスが鳩の餌の値段として一般的なのかは分からないけど,聖堂の前ということもあるし,"Widow's mite"の話と類似性を持たせているのだろうか。


本名は「ヘンリー」 [言葉]

ロイヤル・ペインズ~救命医ハンク~ シーズン1 DVD-BOX
「救命医ヘンリー」だと,何か変?

「救命医ハンク」を観ていた時,ハンクの弟,エヴァンが,ハンクを時折「ヘンリー」と呼んでいるのに気が付いた。何か日本人にはよく分からない暗喩なのかと思っていたのだが,USのWikipediaで"Royal Pains"を調べてみると,登場人物の紹介のところに,「Henry "Hank" Lawson」と書いてある。ってことは,「ハンク」でなくて,「ヘンリー」の方が本名なのか。しかも,「"」で括ってあるって事は,ミドル・ネームでもなくて,ニックネームってこと? でも,何故「ヘンリー」が「ハンク」になるんだろう。

欧米でよく使われる,愛称(pet name)とかあだ名(nickname)って,なかなか理解しにくい文化のひとつだと思う。単に家族や友人がそう呼んでいる,というだけでなくて,本人が名乗る時に使ったり,名刺に刷ったりしているからだ。知り合ってしばらくの間,それが本名なのだと思っていたら,後で別の正式な名前があることが分かったり。でも,普段はほとんどその名前を使わないとか。会社のDirectoryとかにも,nicknameで登録してあったりする。日本だとまずあり得ない話である。

で,正式な名前に対応する,定番のnicknameというのがあるらしい。欧米の人はそれを知っているから,nicknameから本名を推定できるようだ。有名なところだと,「エリザベス(Elizabeth)」が「リズ(Liz)」や「ベス(Beth)」になるとか,「ウィリアム(William)」が「ビル(Bill)」など。Eddie Van Halenの「エディ(Eddie)」も,本名は「エドワード(Edward)」だ。まぁこの辺は,長い名前だと呼びにくいから,短縮しているのだろうと分かる。では何故,「ヘンリー」を「ハンク」と呼ぶのだろう。「ヘンリー」そのままでも充分短くて呼びやすいと思うし,そもそも関連が分からない。

Webでいろいろ調べてみたところ,「Henry」というのは元々ドイツ系の名前で,「ハインリッヒ(Heinrich)」に相当するらしい。"heinrich"というのは"home ruler"(地域の支配者?)という意味なのだそうだ。フランスだと「アンリ(Henri)」。で,オランダに行くと「ヘンドリック(Hendrik)」になる。このオランダ名の短縮形(diminutive)が「ヘンク(Henk)」。それが転じて「ハンク(Hank)」になった...というのが定説のようである。まぁ一応繋がってはいるけど,随分遠回りですなぁ。

まぁ,欧米の人の場合,「ヘンリー」と言えば「ハンク」,「ハンク」と言えば「ヘンリー」という対応付けが出来てしまっているのだろうから,こんな由来なんて知らないのかも知れないけどね。因みに,メジャー・リーグのホームラン王「ハンク・アーロン」も,本名は「ヘンリー・(ルイス)・アーロン」なのだそうだ。


残暑 [言葉]

2010・2011年の7・8月の最高気温(東京)
(元データ:気象庁・気象統計情報)

嫌な予感が当たって,ここ数日は連日の猛暑。今日は,群馬館林市で38.7度を記録したとか。電力使用量もうなぎ登りで,ついに東電管内は,供給力の92%近くまで達した模様。やっぱり,去年同様,お盆前後から猛暑がぶり返すパターンなのだろうか。電力使用量も,これからが正念場なのかも知れない。

ところで,一昨日の8月8日は,秋が立つ,と書いて「立秋」。つまり,暦上はこの日から秋が始まるということ。正直,どこが秋なんだろうという感じだが,いきなり夏が秋に変わる訳もなく,徐々に秋の気配が見え始める日,ということらしい。暑さはこの日をピークに徐々に穏やかになっていくので,この日以降は「残暑」という。手紙で出す場合も,「暑中見舞い」ではなく「残暑見舞い」となる。

しかし,今年はむしろピークになりそうなこれからの時期,とても「残暑」だとは思えませんな。


ちゃどう [言葉]

DVDではじめる茶道入門(DVD付)
DVDの茶道入門。この中では「ちゃどう」と読んでいるのだろうか。

たまたまなのだとは思うが,ここ最近,立て続けにTVで「茶道」のことを話しているのを聞く機会があった。その時の発音が,いずれも「ちゃどう」。う~む。遠い昔,「さどう」と読むのだと教わって,ずっとそれが正しい読み方だと思っていたのに,どういうこと?

先日購入したばかりの,iPadの大辞林で「さどう」を引いてみると,簡単な説明と「ちゃどう」へのリンクがある。ATOKに付いてきた明鏡国語辞典でも,「ちゃどう」がメインの見出し語っぽいが,一方で現在は「さどう」が一般的とも出ている。ではでは,30年以上愛用している,講談社学術文庫の国語辞典ではどうか。やっぱり,メインの見出し語は「ちゃどう」だ。おやおや,最近何か変わったわけではなくて,昔からそうだった訳か。「さどう」が正しい読み方なんだ,というような教えられ方をしたような気がするんだけどね。そうじゃなかったのかな。当時の国語のテストに「ちゃどう」って書いたら,マルをもらえたんだろうか。そもそも,「ちゃどう」と読む方が自然なのに,なんで「さどう」って読み方が一般化したのだろう。「さどう」の方が,響きに品があるからだろうか。

以前はTVでだって,絶対に「さどう」と読んでいたはずなのだが,一体いつから,何故切り替わったのだろう。誰かがクレームをつけたのだろうか。初めて「ちゃどう」と読んだときは,元々そうであったかのように,しらっと読んだのだろうか。「ちゃどう」と読んだことに対する問い合わせはなかったのだろうか。

こういう,今までの思い込みがひっくり返されることって時々あるけど,詳細な経緯をどこかでちゃんと説明して欲しいものだ。


筆順は大事 [言葉]

iPadのApp Storeで,度々各種アプリのセールをやっている。それほど欲しいわけではないアプリでも,1つ115円とかだと,買わなきゃ損に思えてしまう貧乏性で,ついつい買ってしまう。数日前にも,「モノポリー」が115円だったので買ってしまった。これって,ボードゲームでもやったことなくて,どんなゲームなのかも知らなかったのだが,「不動産王を目指すゲーム」なのか。人生ゲームみたいな,スゴロク的なものかと思っていた。iPadのタッチパネルで指をぐりぐり回してサイコロを振る操作が,何気に気持ちいいのだが,出目のランダム性が今ひとつで,ぞろ目が出過ぎ。ゲーム自体の方は,ちゃんとやり方をマスターして遊ぶと面白いのかも知れないが,適当に始めたらすぐ飽きて眠くなってしまった。これもまたお蔵入りかな?

同じタイミングで,「アスファルト6」も115円だったのだが,iPadでレース・ゲームなんてやるかなー,と思って躊躇していたら,次の日には800円に戻っていた。買ってたってやっぱりやってなかった気はするけど,微妙にガッカリ感。

もうひとつ,やっぱりセールで115円になっていて,一時的にランキング上位にもはいっていたのが「常用漢字筆順辞典」。昔,小学生の頃,学校で結構五月蠅く筆順を指導されたりしたものだけど,最近はそうでもないのかな? 元々そう厳密なものでもないみたいなのだけど。そういえば,ロシア語のアルファベットも,形さえそう見えればどう書いてもいいらしい。外国人にとっては,決まっててくれた方が却って嬉しいんだけどね。

筆順といえば,かつて「右」という字で感動したことがある。横棒と左払いの順番が「左」と違うことをちゃんと理解していなかった頃,自分の書く「右」の字が,教科書に印刷されている「右」と,心持ち違うのが気になっていた。ゆっくり似せて書けばそれっぽく見えるのだが,普通のスピードで書くと,どうしても「左」と同じようになってしまう。その時初めて筆順が違うことに気付いたのである。払いを先に書くという,正しい筆順で書いたら,簡単に期待通りの「右」が書けたのだ。まさに「目から鱗」で,筆順の大切さを認識したのだった。

ところが,いざ今筆順を調べてみようと思うと,意外に資料がない。そこでこの「常用漢字筆順辞典」。元値がいくらか知らないが,115円なら買って損はなかろうということで,即購入。但し,筆順が載っているのは常用漢字の2411文字だけ。例えば「魑魅魍魎」の「魅」以外の文字は,読みしか載っていない。これがちょっと残念。

クイズ形式で,自分の思う筆順を確認するモードがあるのだが,常用漢字ということもあって,今まで試した限りではほとんど正解。間違えたのは,何度調べても忘れてしまう「凸」と「凹」。ちょっとびっくりしたのは,筆順収録漢字中,最大画数の「鬱」。間違えたのは冠の部分。「缶」が2つの「木」に挟まれているのだが,今まで左から「木」→「缶」→「木」と書いていた。ところが,正解は真ん中の「缶」を先に書くらしい。「党」という字の頭の部分と同じなのね。

こんな具合で,「筆順辞典」の方が,「モノポリー」よりよっぽど暇潰しになっていたりする。


長幼の序 [言葉]

松本龍は,さっさと復興相を辞任したそうで。菅から無理矢理押しつけられたとかいう話もあるくらいだから,渡りに舟だったとか? いずれにしろ,あの男ではスムースに復興が進むわけもないし,後任も早く決まったので,良かったのではないか。

辞任後の記者会見で「言葉が足りなかったり荒かったりして」といっていたようだが,言葉が足りなかったのではなくて余分なことを言ったせいだと思うのだけどねぇ。結局何も分かってないし,反省もしてないんじゃないの? 辞任前も,血液型(B型)のせいにしてみたり,九州人・博多人のせいにしてみたりと,あちこちで顰蹙を買いまくり。聞けば,この松本龍という男,日頃から奇行が目立つというか,かなりの不思議ちゃんらしい。こんなのを大臣に選んだ時点で任命責任を(以下略)。

さらにおかしいのは,応接室に遅れて入って来た宮城県知事を叱責した件。こちらの「オルタナ」の記事にあるように,応接室に客より遅れて入るのが,宮城県庁では一般的なプロシージャだとのこと。私も最初ニュースを見た時に何か違和感を感じたのだが,これだったのだ。普通,訪問先で応接室に通されて,そこにもう先方がいることなんて確かにない。逆に,いたらびっくりするよね。っていうか,そのための応接室だろう。松本ってジジイは,何か基本的なことを勘違いしているようだ。

しかも,自衛隊なら長幼の序がどうのこうの,と説教垂れたらしいが,同じオルタナの記事によると,「部外の人と会談する時には当てはまらない」と,防衛省にも完全否定されてますな。ホント,片腹痛いわ。

ところで,一躍注目のキーワードとなった,「長幼の序」。最初字面だけ見て,「年少者は年長者を敬うべき」という意味の言葉だと思い込んでしまったが,さにあらず。「長幼の序」は,孟子の教え,「五倫」の中のひとつ。大辞林によれば,「年長者と年少者の間にある一定の秩序」という意味だそうだ。これには,年少者が年長者を敬うという一方通行ではなく,年長者は年少者を慈しむ,という意味も込められている。その後半部分に照らせば,松本龍は自らが長幼の序をわきまえていなかったことになりますな。碌にものを知らないクセに,知ったかぶって発言すると大恥をかくということだ。

ただ,前半部分「年少者が年長者を敬うこと」という部分には,大いに異論がある。そもそも,人が人を敬うことを強制するのは間違いだ。そんなことをするから,差別など様々な社会問題が生まれるのである。年齢を重ねることは,直接的には人間になんの価値も与えない。人生経験を長く積むことで,その分心が豊かになり,視野も拡がり,豊富な知識や経験に基づいて,様々な場面でよりより判断を示すことができる...ことを期待されているというだけだ。それが出来ず,ただいたずらに歳を喰っただけの人間は,尊敬には値しない。逆に言えば,真に立派な人物に対しては,年齢など関係なく,誰でも自然と尊敬の念が湧いてくるものである。歳相応の敬意を払われていないと文句をいう前に,歳相応の徳を身につけているかを自省すべきなのだ。

したがって,「年少者が年長者を敬うこと」なんていうのは蛇足といえる。つまり,「長幼の序」とは年長者に対する戒めであって,年少者を慈しみ,年長者にふさわしい人間たるべく研鑽し,振る舞うこと。それで十分なのではないか。「年長者」の部分は,「立場の強い者」,「地位の高い者」で置き換えることも出来るはずだ。

儒教の影響というと,お隣韓国では,男女差別だとか,地位や歳の上の人間が威張り腐ることとか,醜い形ばかりが現在に残っているような印象がある。でも,元々の教えはもっとリーズナブルで崇高なものなのだろうね,多分。


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