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「セクハラ」ではなく「女性蔑視」 [時事/評論]

先日の都議会において,塩村都議に対して発せられたヤジ問題。

これまたメディアがバカだから,「セクハラやじ」とか言って,論点がおかしくなってしまっているが,問題の本質は「セクハラ」ではなく「女性蔑視」である。「セクハラ」というのは,対象者に対する嫌がらせであって,個人間の問題だ。だから,謝罪して,当人がそれを受け入れれば終わりとも言える。逆に,対象者でもない人間が,セクハラ発言だなんだ,と騒ぐのはお門違いということになる。今回の件が問題なのは,単なる個人間の揉め事ではなく,もっと一般的な話だからだ。つまり,政治家には,未だに女性蔑視の意識が染み付いているという事実である。

発言した本人が政治家として不適格なのはもとより,さらに重大なのは,こういう発言を容認してしまう議会のムードである。有権者によって選ばれた都議に対して,こうした揶揄するような発言をすることに違和感を感じないどころか,一緒になって笑い,追い打ちを掛けるようなヤジを飛ばす。その根底にあるのは,政治は男の仕事であって,女がしゃしゃり出てくるのは目障り,という時代錯誤な考え方だろう。女は政治なんてやらないで,結婚して家で家事・育児をしてろ,という訳である。少なくとも自民党の都議はみんなそう思ってるから,その場で誰も問題だと感じなかったのだ。今どき,一般人でも,こんなことを言ったら問題になるということは認識している。男女共同参画を推進するべき立場の政治家がこれなのだから,呆れ果てるばかりである。

もう一つの問題は,「ヤジ」そのものだ。正式に発言権を与えられて話をしている人間にヤジを飛ばすというのは,発言の妨害行為である。議会というのは,話し合いをする場ではないのか? 今や年寄りの多い政治家でも,戦後生まれ,あるいは戦後に幼少期を過ごした人間がかなりの割合を占めるようになってきているはず。小学校の頃に,教室でヤジなんか飛ばしたら,先生に怒られなかったか? 人が話している時にヤジを飛ばしたらいけない,なんてことは,小学生でも知っている。それなのに,何故大人である政治家が,議会でヤジを飛ばすのか。何故ヤジを飛ばすことに違和感を感じないのだろうか。そりゃ,自民党の閣僚が,明らかに嘘の答弁をしてれば,ヤジを飛ばしたくもなるだろう。勿論,それだってルール違反には違いない。反論するなら,口汚く罵るのではなく,正式に発言権を得て,理性的に話せばいいのだ。しかし,今回のケースはそれとは全く別だ。単に野党の都議の発言を封じようとするものであり,極めて悪質である。それにも関わらず,世論を含めて,「ヤジ」そのものに対する批判はあまり聞こえてこない。あまりにも慣らされてしまって,不感症になっているのかもしれない。

驚くべき事に,「早く結婚しろ」とヤジった男が名乗り出たことで,自民党は幕引きにしようとしている。この事自体,問題の本質を理解していないと言える。いや,理解しているが,議論がそこに行き着いて欲しくない,という方が正しいかも知れない。今なら,単なるセクハラで済ませられると思っているのだろう。そう考えると,当初否定していた男が一転名乗り出たことが,自民党の描いた,事態沈静化のシナリオだった可能性もある。要するに,大衆はナメられているのだ。マスコミも,「セクハラやじ」なんて見当違いの見出しをやめて,徹底的に都議会・自民党会派の「女性蔑視」を追求するべきだ。もっとも,マスコミも,政治家と同じような問題を抱えているらしいが。女性蔑視が当たり前の組織が,他人の女性蔑視に本気で切り込むとは思えない。反対に火の粉が降りかかっては堪らないものね。

首相が口先でいくら立派なヴィジョンを話したところで,日本の真の近代化はまだまだ先のようだ。


歩行者の右側通行 [時事/評論]

最近ちょっと気になっていたこと。

子供の頃,車は左側通行,歩行者は右側通行,と習った。子供心に,車が左なんだから,歩行者は逆なんだな,とか納得していたのだが,よく考えるとなんかおかしい。車は,対向車との相対位置として,左側を走っている。じゃぁ,歩行者は? 対向する歩行者との相対位置が右側ってこと? それなら,車と歩行者を逆にする理由が分からない。

そこでちょっと調べてみたところ,この「右側通行」は,道路交通法の第二章 第十条に由来するものらしい。つまり,歩道の区別のない道路や,充分な幅のない路側帯しかない道路においては,道路全体に対して,右側を通行しなければならないのだそうだ。車は左側通行なのだから,歩行者のすぐ左側を車が対向して来る位置関係になる。これは,狭い道の場合,対向している方が車の存在に気付きやすく,安全だという考えから来ているらしい。逆に言うと,こういう道路で,反対側の端を同じ向きに歩いてはいけないということになる。う~ん,知らなかった。というか,知っててちゃんと守っている人なんているんだろうか。

上記のケースとは違って,ちゃんと歩道が設けられている道路では,右左関係なく歩道を通行して良い。したがって,歩道内で右側と左側のどちらを歩くべきかは,道路交通法で規定されていないことになる。対向している方が安全だという考えに基づけば,歩道内で歩行者が左側通行している方が都合がよいとも言える。それなのに,このルールを誤解し,歩道における右側通行を主張してトラブルを起こす迷惑な人も御仁もいるらしい。

このことに限らないが,「ルール」というとそれを盲信し,その目的や原理を理解せず,振りかざすバカがいるのは困ったものだ。子供の頃から,何かと理不尽なルールを押し付けられてきた,日本人特有の現象なのだろうか。ちょっと軍隊系,体育会系の匂いもするが。


「特定秘密保護法案」反対騒動に想う [時事/評論]

近頃世間を騒がせていた,「特定秘密保護法案」。与党のやることにケチを付けるのが仕事だと勘違いしている野党の政治家どもばかりか,学者やら文化人やらのエセ知識人までこぞって「反対」の大合唱。それに煽られるように,世論まで反対一辺倒の様相。この騒動に,私は最初から違和感を感じていた。

「特定秘密保護法」の趣旨は,国家の安全保障に関わる機密の漏洩を防ごうというものだ。以前より,日本はスパイ天国だと言われてきた。戦争がないからといって,全ての国が仲良しこよしで巧くやっている訳ではない。それぞれの国はそれぞれの利害に基づいて動いている。自国の損になるようなことを,進んでやる国なんてないのだ。何か損になることをするとしたら,それが別の利益を生み出し,トータルで得になると考えるからである。そこには国家間の交渉があり,交渉を有利に進めるためには情報が必要だ。そうした他国の情報を収集する組織が情報機関である。情報機関は,必ずしも合法的手段で情報を収集する訳ではない。他国の法律に触れるリスクを冒しても,情報を得ようとすることもあるだろう。しかし,それを罰する法律がなかったらどうだろうか。処罰されるリスクがないのだから,やりたい放題である。処罰されないのだから,国家公務員だって,金品と引き換えに,簡単に情報を漏らしてしまうかも知れない。それが日本だったのだ。その状態をよしとする日本人がどれだけいるのだろうか。「特定秘密保護法案」に反対していた連中は,情報がダダ漏れで,日本が不利益を被るかも知れない状況をどう考えているのか。この法律は,現代国家として必要不可欠なものだと私は考えている。

不思議なのは,新聞紙面を賑わす論議の中に,こうしたことがほとんど含まれないことだ。反対派の口から出て来るのは,国民の知る権利が制限されるとか,法律の適用範囲が曖昧で,政府の思惑で好きなように犯罪者に仕立てあげられるとか,そんなことばかりだ。全く理解に苦しむ。国家の安全保障に関わる機密を,国民にホイホイ公表できる訳ないだろう? それに,戦前の特高警察のようなことが,今の時代に本当に実施可能だとでも思っているのだろうか。そんな運用をしたら,それこそ国際社会から袋だたきに遭うのは明白だ。仮に,袋だたきに遭っても構わない,と政府が考えるのであれば,それは国として末期症状であり,この法律が今成立するかどうかに関わらず,そういうことは起きるのだ。そんな状況になれば,法律や憲法を持ち出したって,止められるようなものではない。

そもそも,今の日本で,本当に国民の知る権利が保障されているとでも思っているのだろうか。政府やら省庁の発表の多くは,マスコミを通じて行われる。今時,誰でもインターネットのアクセス手段を持っているのに,HPでは発表されないことも多い。しかも,マスコミには発表するものの,報道しないように要請することもある。さらに,マスコミは手に入れた情報を,全て報道する訳ではない。マスコミは,自分たちが報道したいと思うものだけを報道するのだ。この状況で,どこに国民の知る権利の保障が担保されているのだろうか。

「政府の思惑通りに犯罪者を仕立てあげる」にしたって,何を今更という感じだ。私はこのblogで再三,司法・警察権力の問題について指摘してきた。今,この国には,推定無罪という法治国家の大原則が機能していない。既に,検察・警察の思惑で,好きなように犯罪者認定が出来るし,裁判所は有罪であることを前提に審理を進める。仮に裁判で無罪になったとしても,逮捕された時点で,報道は犯罪者扱いするので,名誉回復は極めて難しい。こんな危険な状況に既にいて,それについて何の危機感も持っていないクセに,なぜ殊更にこの法案に拘るのか。こんな法案がなくたって,検察・警察の手にかかれば,誰でも逮捕できるのだから。誰でも,一度くらい映画やTVでも観たことあるはずだ。警察には,「公務執行妨害」という伝家の宝刀がある。今回の件のデモでも,これで逮捕された人間がいたはずだ。逮捕されてしまえば,日本の警察・検察の取り調べはほぼ密室である。善良な市民ほど,警察の作ったストーリー通りの調書に,簡単にサインさせられてしまうだろう。先日書いた,小沢一郎の事件でも,それは明らかだ。「国家の安全保障」に限定されていると言ってる法案に文句を言う暇があるなら,より広範に甚大な影響のある,司法・警察制度の欠陥にこそ危機感を抱くべきだ。

しかし,一体全体どうしてこんなことになったのだろう。身近な消費税の増税ですらここまで騒ぎにならなかったのに,一般人には普通縁のない,「国家の安全保障」に関わる事案である。これはもう,マスコミによる誘導としか考えられない。とかく日本人は,マスコミを無防備に信用しすぎる。マスコミなんて,今や単なる一私企業に過ぎない。自社の利益を追求することが優先で,世の中をよくしようなんていう使命感は,少なくとも企業としては持っていない。だから,報道においても,自社に都合の悪いことは意図的に隠蔽する。「特定秘密保護法案」についてだって,趣旨は何で,どうしてこういう法律が必要なのかということをちゃんと説明していない。いろんな人のコメントを載せているが,すべて反対意見だ。これを不自然だと思わないのだろうか。日本人は芸能人など有名人に弱い。有名人の言うことなら,それが正しいのだろうと簡単に信じ込む。実際には,賛成意見を唱える有名人の声など,報道に載ることさえないのだが。ひとたび方向性が決まってしまえば,日本の世論は極端に傾く。賛成意見など言おうものなら,変わり者扱いされかねない。こうして報道に洗脳されて,一般市民は「特定秘密保護法案」を敵視するようになる。マスコミの思惑通り。ちょろいもんだ。

では何故,マスコミは「特定秘密保護法案」を廃案にしたいのか。そんなこと知るよしもないが,「特定秘密」をスクープして儲けるどころか,犯罪になってはたまらない,ということだろうか。そんなの,国民としては寧ろ有罪にしてもらわないと困る。マスコミの利益など,国民の利益に優先して良い訳がない。では,そのものズバリ,「特定秘密」が欲しい,外国からの要請だろうか。不思議なことに,日本のマスコミには,反日姿勢を持っているとしか思えない企業が多い。そう考えると,民主党が法案に反対しているのも同じ理由かと思ってしまう。そんなこと,日本人として許せるだろうか。

勿論,法律の条文や運用方法は慎重に検討すべきであった。しかし,そういう姿勢で議論しようとした政党があったのだろうか。初めに反対ありきで,よりよい条文や運用方法を模索すべく,建設的な議論をしたようには思えない。国会中継など,いつも与野党の対立ばかりで,よりよい方向に持って行こうと議論しているところなど,見たことがない。そんなことをするために,議員は選挙で選ばれたのだろうか。それなら,小学校の学級会の方が余程ましである。こんな状況で,「時間をかけて議論」したところで,何年掛けても何も良くはならないだろう。まさに時間の無駄だ。今回浪費した時間を,より有効な議論に使ったら,もっと安全な法案になったかも知れない。そう考えると,腹立たしい限りだ。それとも,所詮政治家なんて素人で,専門の官僚に任せないと,条文の改善を議論することも出来ないのだろうか。だとすれば,議員なんてそれこそ税金の無駄遣いですな。


「ヤマザキパンはなぜカビないか」の嘘 [時事/評論]

ヤマザキパンはなぜカビないか―誰も書かない食品&添加物の秘密
渡辺雄二による,件の本。

ヤマザキのパンとかお菓子って,賞味期限が切れたあと長いこと放っておいても,カビひとつ生えないことを不思議に思っている人は多いだろう。きっと,防カビ剤やら防腐剤を大量に使っているのだろうと思っていた。それに関して,知人からちょっと興味深い情報をもらった。

ヤマザキでは,臭素酸カリウムという物質を,パンの製造工程で使用しているというのだ。臭素酸カリウムは発がん性のあることが知られている物質であり,諸外国では食品に添加することを禁止しているところが多いらしい。日本においても,製パン以外に使用することは禁止されている。製パンの場合は,生地の段階で添加されるため,焼成の過程で消えるから大丈夫,という論理らしい。

私は全然知らなかったのだが,それに関しての騒動が以前にあったらしい。発がん物質を食べ物に使うなんて言語道断である。ヤマザキのパンにカビが生えないのは,そんな毒性の高い物質を使っているからだ...というような話。最近も,どこかのブロガーがそういう論調の記事を掲載したらしい。

それをちょっと読んでみたのだが,どうも違和感があった。確かに発がん物質を使っていることに賛成は出来ない。しかし,カビが生えないことが,人に害のある証拠といえるだろうか。そもそも臭素酸カリウムは防カビ剤として機能するのだろうか。ヒトに対する発がん性と,カビに対する毒性は,必ずしも一致しないと思うのだが。

この話,元々は,科学ジャーナリスト(?)の渡辺雄二という人が,著書の「ヤマザキパンはなぜカビないか」の中に書いたことらしい。なんとかジャーナリスト,なんていう人種は端から信用していないので,既に胡散臭い。しかもこの御仁,以前話題になった「買ってはいけない」の著者の一人であることが分かった。ますます胡散臭い。こういう人たちの言葉を鵜呑みにするのは危険である。日本人は,どうもその辺り,ガードが甘すぎる。

私も専門家ではないので,何が正しいのかを証明することは出来ない。しかし,調べてみたところ,臭素酸カリウムというのは防カビ剤ではないようだ。これは別に驚くようなことではない。ヒトに毒だからといって,全ての生物に毒だとは限らないのだ。しかも相手はカビである。また,鈴鹿医療科学大学の長村洋一教授が書かれた記事によれば,焼成後もパンには0.5ppb(=10億分率)以下の臭素酸カリウムが残留している可能性はあるそうだが,そんな極めて微量の物質が,防カビ効果を発揮できるとは常識的にも考えられない。件の本を読んだわけではないが,長村教授によれば,およそ非科学的な論理で,臭素酸カリウムを犯人に断定しているらしい。

それなら何故カビないのかというと,衛生的な環境で,カビの菌や胞子などが混入しないように製造されていること,パンにカビの生育しにくい何らかの工夫がされているらしい,とのことだ。これはこれで,眉唾な感じはするが,少なくとも,家庭で素手を使って作ったり加工されたりするパンより,衛生的なのは間違いないだろう。家庭のパンがすぐにカビるからといって,カビないメーカー製のパンはおかしいと言うのは,あまりに短絡的である。街のパン屋であっても,棚にカバーもかけずに長時間放置されているのだから,メーカーの工場で袋に詰められるパンより,不衛生なことは否定出来ない。というか,私は神経質な方なので,実はいつも気になって仕方ないくらいだ。

私は,ヤマザキが臭素酸カリウムを使用することを,擁護するつもりはない。ただ,理不尽な論理で,感情的に悪者扱いすることも善しとはしない。ヤマザキ側が言うように,パンに向かない国産小麦を使って美味しいパンを作るのに,臭素酸カリウムが必要なのだ,というのが事実であれば,何でも国産の方が良い,と考える世の中の風潮にも問題があるとは考えられないか。そもそも,国産品信仰なんて,マスコミがそう仕向けたのだろう? マスコミの言うことに騙されやすい日本人が,何の疑問も持たずに信じこんでしまっただけだ。無理に国産小麦を使わなくても,輸入物の小麦でパンを作れば良い。皆がそう考えれば,ヤマザキも臭素酸カリウムを使う必要はなかったのではないか。輸入小麦の安全性に問題があるという意見があるかもしれないが,では臭素酸カリウムを使ったパンとどちらがより安全なのだろうか。多少不味くてもいいから,臭素酸カリウムを使わない国産小麦のパンを食べたい,という人がいてもいい。でも,どの程度危険なのかどうかもわからない臭素酸カリウムの残留など気にしないから,美味しいパンを食べたいという人だっているだろう。それは個人の選択だ。自分にとってのメリットとリスクを評価して,自分に最も適したものを選べば良いだけだ。他人の選択に対して,それは危険だから食べるのをやめなさい,なんていうことは大きなお世話である。

勿論,そのためには,正しくリスクを評価するための情報が提示されていることが前提条件となる。だから,建前上残留していないから,という理由で,臭素酸カリウムの使用を表示していなかった(未確認だが,今はされているらしい)のは,重大な問題である。ヤマザキが責められるべきはその点においてであって,これについては弁解の余地はない。加担した厚生労働省も同罪だ。

しかし,ここで私が何より問題にしたいのは,カビが生えないことを臭素酸カリウムのせいにして,世間を欺いた前出の科学ジャーナリストである。いやしくも「科学」などと名乗る以上,科学的な裏付けもないことをさも真実のように論じるのは,詐欺師と言われても仕方のない行為だ。例えそれが,臭素酸カリウムの危険を告発するためのものであっても,嘘を言ってはダメなのだ。不誠実なことを,不誠実なやり方で批判するのは間違っている。ひとたび嘘が露見したとき,果たして誰がそんな人間の言うことを信じるだろうか。正当な主張でさえ,疑いの目で見られてしまうのだ。大衆はバカだから,嘘に気付かないとでも思っているのか? あるいは,一時的に注目が集まって,それで利益を得られれば満足なのだろうか。人の噂も七十五日。ほとぼりが冷めた頃に,また同じようなことを繰り返すつもりなのだろうか。

日本人は,ジャーナリズムに対して,もっと警戒心を持つべきだ。現在のジャーナリズムからは,本来の使命や機能は失われ,単なる私的営利活動に成り果てている。社会が正常に機能するためには,それでは困る。立て直すためには,国民の目で,厳しく監視していくことが必要なのである。

なお,長村教授の前出の記事やその続編,畝山智香子氏の記事によると,パンのカビは思ってた以上に怖いらしい。パンに目に見えるカビが発生したら,目に見えないカビもすでに大量発生しているのだそうだ。これからの梅雨シーズン,ちょっと油断するとカビを生やしてしまいがちだが,勿体ながらずに処分するのが賢明なようだ。


内柴裁判判決に見る,日本の司法の危うさ [時事/評論]

男子柔道の五輪金メダリストの内柴正人の,例の裁判の判決が出たらしい。裁判記録を見たわけでもないし,判決の全文を読んだ訳でもないから,どのように事実認定が行われたのか知りようもないので,内柴の有罪無罪を論じるつもりはない。ただ,報道されている情報だけを見る限り,極めて危うい判決に見える。一般市民が,誰もこれに疑問を感じていないのだとしたら,困った状況である。

報道によれば,判決で「被告の供述は全く信用出来ない」と宣うたらしいが,その「信用出来ない」根拠は何なのだろう。しかも完全否定。もっと証拠があったって,ここまで断定するのはふつう無理。先入観が入りまくりなんじゃないのか? そういう意味で,かなり胡散臭い。逆に,被害者の言い分を信用する根拠は何か。タイムマシンでその状況を見に行くことが出来ない以上,当事者の発言以外に拠り所とするものはないのだろうが,真実を語っているかどうかは,本人たちにしか分からないことだ。あるいは,単に意思の疎通が出来ていなかっただけで,それぞれが,自分は真実を言ったつもりなのかも知れない。いずれにしても,厳密には立証不可能な事件だと思われる。それなのに,何故裁判官は,内柴の供述を「信用出来ない」と決め付けるのだろうか。それは単なる心証なのではないか? そもそも,心証などという不確かなものを,公正かつ合理性・論理性が要求される法廷に持ち込むのは間違いではないのか。

法廷は,数々の痴漢冤罪を引き起こしているプロセスを,ここでも踏襲しようとしているように見えてならない。被害女性の証言を,優先的に信用すべき合理的な理由など何処にもない。なのに,何故か「被害者が嘘を吐く訳がない」という根拠のない論理が罷り通ってしまっている。確かに,本当に被害者なら嘘は吐かないだろう。では,被害自体が嘘だったら? 実際に,そういうケースでの痴漢冤罪の例がいくつもあるではないか。被害が嘘なら,本当の被害者は被告の側である。まずは被害の事実認定を公正に行うのが筋なのに,事の初めから偏向しているのだから,とてもではないが合理的な裁判とは言えない。同じ事が,内柴裁判にも言えるのではないか。

検察の言い分もおかしい。「性道徳観念が破綻していて,このまま社会に出すのは危険」というようなことを言ったらしいが,「道徳」は刑法で裁かれる対象ではない。道徳が破綻している人間なら,政治家にも官僚にもゴマンといるではないか。そいつらは危険ではないのか? 道徳が破綻しているだけで刑罰に処せるのなら,立証の難しい汚職に塗れている政治家を,片っ端から逮捕・起訴すればいいではないか。こんなことを検察が法廷で発言すること自体,日本という国家レベルの恥だと知るべきだし,裁判官は撤回を求めるべきである。それをしない裁判官からして,法廷道徳が破綻している。

求刑通りの実刑という点にも違和感を感じる。どんな犯罪であっても,求刑より減刑されるのが一般的だからだ。勿論,その事自体,不合理な慣習だとは思っている。しかし,今回の裁判で求刑通りとなったのには,懲罰的な意味合いを強く感じる。恐らく,内柴被告が罪を全面的に認め,形だけでも真摯な改悛の情を見せれば,減刑されたのではないか。日本人的な感覚では,理解できることのように思えてしまうかもしれないが,明らかに錯覚だ。本当に罪を犯していないのなら,罪を認めるわけはないし,反省だってしようがない。そもそも,その「本当に罪を犯したか」を認定すべく争っているのに,反省を求めることが矛盾している。推定無罪が大原則のはずなのに,推定有罪の頭があるからこうなるのだ。かくして,真の加害者が減刑される一方で,冤罪を主張する無実の人が,重い量刑を宣告されることとなる。この恐るべき不条理に,疑問を感じていない法曹関係者がいるとしたら,とんだ馬鹿者だ。

今更改めて言うまでもなく,日本は法治国家である。人は法によってのみ裁かれる。有罪か無罪かは,立証された事実に基づいて決定される。そして,有罪と立証されない限り,無罪なのだ。本来,感情的なものが入り込む余地がないシステムなのに,何故か日本では感情を刑事事件の法廷に持ち込む傾向が強い。法治国家の何たるべきかについて,正しい教育を受けておらず,自分で考える能力も持たない一般人は,この問題点に気付きもしない。真に憂うべき事態だ。日本の司法は,自分たちの信頼の根幹を,自ら揺るがしながら,何の危機感も感じていない。このままでは,日本は,戦前のそれにも似た,恐怖国家になりかねない。現に,人権擁護法案なんて危険なものが出て来ていたではないか。

内柴裁判の判決を,当然だとか,もっと重い量刑を課すべきとか言ってる輩がいるが,もし仮に,自分が同じ立場に置かれて,しかも全く身に覚えがないとしても,果たして同じ事を言えるのだろうか。こんな不合理な裁判で有罪にされて,納得できるのか? 決して他人事ではない。いつ自分の身に災厄が降り掛かってきてもおかしくないのだよ。


竜巻発生 [時事/評論]

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茨城で竜巻が起こったそうで。

以前,ここで日本の竜巻注意報にについて書いたことがあるが,まさかあんな本格的な竜巻が起こるものだとは,想像もしていなかった。一般の人が撮ったといういくつかの動画を見たが,映画「ツイスター」に出てくるほど巨大なものではないにしても,瓦礫のようなものが渦を巻いて,吹き上げられている様子がよく分かった。通り道にあった車が横転したり,家屋が跡形もなくなったり,凄まじい破壊力である。恐らく突然発生したのだろうし,あらかじめ避難することも出来ないであろう中での被災。被害に遭われた方には,本当にお気の毒というほかない。

しかし,皆さん,よくあんな至近距離で竜巻を撮影していたものだ。「ツイスター」を観た人間としては,竜巻の進路が読めない素人は,さっさと避難すべきだ思うのだが。お陰で,我々も竜巻の様子を見ることが出来た訳だが,万一それで死亡者やけが人が出たのでは取り返しがつかない。

日本では,竜巻なんて外国の話のように感じている人も多いと思うが,奇しくも今回の災害で,竜巻の怖さが知ろしめられたと思うので,当局は,竜巻に出遭った時に取るべき行動について,しっかりと啓蒙する必要があるのではないだろうか。

今日は私も外出していたのだが,空は明るいのに,いきなり雷雨に襲われたり,かと思うと突然快晴になったり,留守中の自宅の周りでは雹が降ったりと,なんだかとても不安定な天気だったようだ。この5月に入って,カラっと晴れたのは5/5の日くらい? 天候にたたられたGWとなった。

[追記: 2012/5/7]
気象庁が「竜巻から身を守る~竜巻注意情報~」というリーフレットを発行しているらしい。しかし,今回のような正真正銘の竜巻も,ちょっと強い突風も,十把一絡げで「竜巻注意報」では,まったく注意喚起にならないと思うのだが。何故何段階かに注意レベルを分けないのだろうか。


1192→1185 [時事/評論]

人から聞いた話だが,現在中学校では,鎌倉幕府が成立した年を1185年と教えているそうだ。我々が子供の頃は1192年と教えられていて,「いい国作ろう鎌倉幕府」みたいな語呂合わせで覚えたものだ。

といって,最近何か新しい史実が見つかったとかいう訳ではなく,単に歴史的な解釈が変わっただけの模様。1192年は,源頼朝が征夷大将軍に任じられた年であるが,頼朝の実権は,壇ノ浦で平家を滅ぼした時に決定的になっており,その1185年を幕府成立の年とするのが妥当,ということらしい。そもそも,頼朝の時代には,「幕府」という言葉を使っていなかったため,こうした混乱が生じているみたい。

へぇ~。という以外に,特に言葉も思いつかない。歴史学者たちがどこかで喧々諤々の議論をしていたとしても,そんな細かいこと学校で教える理由が分からない。1185年が壇ノ浦の戦いで,1192年が征夷大将軍,ってことだけでいいんじゃないの? 当時存在すらしていなかった「幕府」がいつ成立したかなんて,正直どうでもいいし,そこまで拘るなら深く背景を理解できるような教育をすべき。上っ面で日本の歴史を教えるだけなら,鎌倉幕府がどっちの年に始まろうが,大した意味はない。今時の日本史の試験で,そういった年号を暗記する必要があるのかどうかは知らないけどね。

文部科学省の役人がアホなだけなのかどうか知らんが,中学校での武道必修化もそうだが,ホントにどうでもいいようなことばかり変えたがるよね。ヒマ過ぎるのか? まったく税金の無駄遣いである。


今更「秘密の質問」を導入する銀行のセキュリティ意識の低さ [時事/評論]

私がオンライン・バンキングを使っている銀行からメールが来て,セキュリティ強化のためにリスク・ベース認証を実施するという。リスク・ベース認証というのは,ユーザーがアクセスに使っている機器の情報やIPアドレスなどを認識して,普段と違う環境からアクセスがあったときに,追加で認証を求めるというもの。

IPアドレスはともかく他にどんな情報を使うのか,気持ち悪い所ではある。これって,ある種の個人情報なんではないのか? だとすると,どういう情報を収集するのか,ユーザーに事前に告知して了承を得るのが筋ではないだろうか。

さらに問題なのは,この銀行が導入する「追加の認証」が,「秘密の質問」と「秘密の答え」だということだ。馬鹿なんじゃないの? 「秘密の質問」と「秘密の答え」という手法に,重大なセキュリティ・リスクがあることは,既に公然の事実である。「パスワードがウィルス等によって盗まれた場合に効果がある」とか,寝惚けたことをいってるのだが,「秘密の質問」の答えなんて,ウィルスすら使わなくても,手に入れることが可能な場合がある。この銀行が,どこの頓珍漢なコンサルティング会社に言いくるめられたのか知らないが,万一そんなことも知らずにセキュリティのコンサルティングをしているとしたら,ほとんど犯罪のようなものだ。実際,USでは,これによるID乗っ取り事件が多発したのだから。

一方で,そういうリスクを自分で理解できず,コンサルティング会社の言うことを鵜呑みにしている銀行の担当者も,無能というほかない。追加の認証が無意味なら,リスク・ベース認証なんて導入したって,セキュリティ強化には少しも繋がらないのは明らか。単に,ユーザーの利便性を損なうだけだ。るそんな下らないことに金をかけて,利息は抑えているのだから,まったくふざけた話である。

そもそも,「秘密の質問」と「秘密の答え」なんてものは,ユーザーにセキュリティ・リスクを押し付ける,責任転嫁の手法以外の何物でもない。「秘密の質問」がどれだけ本当に「秘密」なのか,その判断をユーザーに丸投げしてしまっているからだ。何かコトが起こったら,それは質問の内容が悪い,とか,答えを秘密にしておかなかったのが悪い,などと責任回避する思惑が見え見え。この点を指摘したら,ではユーザーが自分で質問を考えるのではなく,銀行側で10程質問を考えて,ユーザーが選ぶ形にする,とか,これまた素っ頓狂なことを言い出した。それじゃ,銀行に指定された質問のどれかについて,答えを秘匿する義務を強制されるということ? 冗談ではない。オンライン・バンキングのセキュリティ如きのために,他人との自由なコミュニケーションを制限されなければいけないのか。「お宅のおばあ様の誕生日はいつですか?」と知人に訊かれて,「それはセキュリティ上お答えできません」と言えというのか。極めて傲慢な態度だ。

人様の大事な資産を預かって,それで莫大な利益を得ている癖に,このセキュリティ意識の甘さはどういうことなのだろう。考えてみれば,今時4桁の数値だけで預金が引き出せてしまうようなシステムを使っている時点で,時代錯誤としかいいようがない。それだけ,銀行側にはセキュリティの知識を持つ人間がいないのだろう。全く恐ろしい。

企業のセキュリティなんて,所詮こんなもん。無闇に信用してしまっては,損をするのはこちらである。日頃から自己防衛を怠ってはならぬ,ということだ。


ネット世論の暴走 [時事/評論]

久々に朝鮮日報の記事より。

この記事が伝えているのは,最近韓国で起きた事件の顛末。とある飲食店で,店員と口論になった妊婦が,店員に腹を蹴られたとTwitterなどに書き込んだことから,ネット上で店への集中砲火が起こった。ある人気歌手が,無責任にも同調して煽ったことも,事態が急激に拡大した原因のひとつだろう。しかし,その後の警察の調べでは,店員が妊婦を蹴った事実はなく,逆に妊婦の方が店員を蹴ったことが明らかになったという。ネットでは今,妊婦の方に非難の矛先が向かって大騒ぎらしい。全く,懲りない連中だ。

韓国のネット社会では,特定の個人や企業に非難を集中させて,国民的なバッシングに発展するのは,さほど珍しいことではない。芸能人が対象となることも多く,ノイローゼになったり,中には自殺を図るケースも出ている。極めて深刻な社会現象なのだが,未だ有効な対策が打てないでいるようだ。しかも今回の事件は,事実無根のことに短絡的に反応したものであり,より危険性が高いと言える。相手が企業だったからまだしも,個人攻撃で健康に害をなすようなことになっていたら,取り返しのつかないことになるところだった。

これは韓国の国民性という側面もあるのだろうが,日本も対岸の火事と暢気に構えてはいられない。似たようなことは実際に日本でも起きている。折しも先日,昨年の「カンニング事件」にまつわる記事が朝日新聞デジタルに載っていた。犯人の話ではなくて,いたずらで「犯人を装った人」の話だ。この人は,ちょっとした思い付きで,「犯人」が使用したIDと同じものを使い,「犯人っぽい」発言をネットでしたらしい。それから,この人の個人情報がネットに晒されるまでは,あっという間の出来事だったようだ。

この件では,事件(といっても,「たかが」カンニングなのだが)が起きているのに,捜査を撹乱するような行為を敢えてしたこの人にも,明らかな非がある。しかし,果たしてそれは個人情報を公開されて,晒し者にされるほどの非だろうか。その後の人生を狂わされるような過ちだろうか。そもそも,法治国家である日本では,裁判によらず罪を裁かれることはないし,私刑を行うことは認められていないのだ。

日本と韓国で,問題の原因や経緯は異なるものの,結果的にやっていることは全く同じである。履き違えた正義感で,他人の人格と権利を蹂躙する行為だ。最終的に犯人でないことが分かって,やり過ぎだったことが分かっても,この連中は匿名性を隠れ蓑にして,何ひとつ責任を取ることはない。攻撃された人の生活が滅茶苦茶になっても,罪の意識すら感じないかも知れない。正義感どころか,極めて卑劣である。そして,これは紛う事なき犯罪だ。

こんな事件が続くようだと,またぞろネットの匿名性を排除する動きが活発化しないか心配だ。匿名性は,卑劣な連中の隠れ蓑としてだけでなく,善良な市民にとっても大切な武器なのだ。匿名性が失われると,強い力を持つものに対する批判がしにくくなる。政治や警察組織などを批判して,不利益を被らない保証がなくなってしまう。まさに恐怖政治の時代へ逆戻りだ。実際,最近のslashdot.jpでは,インターネットを規制する国際条約について,国連で話し合われることが報じられている。どういう内容のものなのかについては情報がないが,中国やロシアが推進しているというところから,検閲的なものが含まれている可能性は高い。極めて憂慮すべき事態である。

今回のようなネットの暴走が続くようだと,日本や韓国でも,こうした動きに同調する意見が出てくる可能性はある。そうなる前に,暴走をよりよい形で食い止める施策を,真剣に考えていくべきなのではないだろうか。


安い決意 [時事/評論]

コーヒーに憑かれた男たち (中公文庫)
中公文庫,「コーヒーに憑かれた男たち」。

朝日新聞デジタルの記事によると,先日国会審議中に黙って抜け出し,行方不明騒動を起こした防衛相の田中直樹が,「今後は国会内でコーヒーを飲まない決意で臨みたい」と答弁したそうだ。

この人,正真正銘のバカですか? いやしくも防衛省のトップともあろう人間が,「コーヒーを飲まない」なんて安い決意でいてもらっては困るんだけど。あんたが抱かなければいけない決意は,もっと他にあるだろう。なんという心得違い。これこそ失言ではないのだろうか。

そもそも,問題なのはコーヒーを飲んでいたことではないし,審議中に薬を服みに出たことでもない。どんな正当な理由があろうと,責任ある立場の人間が,誰にも断らずに席を離れたことが問題なのである。そんなの,中学生だって分かることだろう。こんな簡単なコトの本質さえ理解できない人間だとしたら,やはり職責に相応しくない御仁なのだと断じざるを得ない。

しかし,本当に民主党ってのはまともな人材がいないようだ。昨年,宮城県庁での暴言問題で,1週間で復興相を辞任した松本龍なんぞを,何食わぬ顔で「衆院政治倫理審査会長」に任命してるんだからね。どういう弱みを握られているのか知らないが,倫理なんてものから一番遠い存在の人種だと感じるのは私だけだろうか...。


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