SSブログ

被疑者と犯罪者 [時事/評論]

近代柔道 (Judo) 2008年 11月号 [雑誌]
3年前の「近代柔道」の表紙を飾る内柴正人。

12/6に準強姦容疑で逮捕された,柔道五輪金メダリストの内柴正人君。当時あれだけ日本中を感動させたというのに,今や四面楚歌の大バッシングの嵐だ。しかし,こんな状況に誰も疑問を持たないのだろうか。

私は彼を,今の時点で擁護することも批判することもしない。なぜなら,本当に罪を犯したのかどうか,判断する材料を持っていないからだ。逮捕したのは,あくまで警察の判断。現時点では,単なる被疑者(容疑者)であって,犯罪者ではないのだ。「逮捕」というのは,逃亡や証拠隠滅を防止するために,身柄を拘束することである。逮捕状の請求には,「疑うに足りる相当な理由」があればよいだけで,立証されている必要はない。警察はそこから取り調べ等で証拠を固めて,犯罪を立証できると判断したら送検する。その後,検察でさらに取り調べを行い,立件可能と判断したら起訴,裁判ということになる。

注意すべきなのは,例え起訴されたとしても,依然まだ被告人だということだ。有罪という確定判決が出るまでは,犯罪者と決めつけることはできない。勿論,警察が送検を諦めたり,検察で不起訴となる場合だってある。それなのに,何故,逮捕されただけの今の時点で,犯罪者と決めつけたような扱いを受けなければならないのか。

折しも先日,福井女子中学生殺害事件に対して,再審開始の決定がされたばかり。これまで分かってるだけでも,あれほど数多くの冤罪を生み出している検察・警察のやることを,そんなに簡単に信じていいものだろうか。無罪判決を導くかも知れない証拠を,意図的に隠しておくような組織なのだ。仮に,自供したと警察が発表したとしても,それは不当な取り調べの結果かも知れない。もし何も疑問を感じないとすれば,相当なお人好しの馬鹿である。マスコミや国民のするべきことは,検察・警察を盲信することではなく,不適切な手続きが行われないかどうか,しっかり監視することなのだ。そうでなければ,検察・警察のような特権を与えられた組織は,いずれ暴走を始めるだろう。

そして,いくらインタビューに行くマスコミの方が悪いとはいえ,非難するようなコメントを出している関係者も関係者である。何故,「裁判で有罪と決まるまではコメントできない」と言えないのだろう。腐りきったマスコミの術中に嵌まって,馬鹿丸出しだ。こうやってマスコミは,まだ取り調べも始まっていない内から,犯罪者というイメージを固定化させ,間違った世論を作り上げるのである。ただニュースのネタが欲しいだけのために。そして,これまた法治国家の原則を忘れてしまった裁判官どもが,ろくな証拠がなくても,世論に迎合した心証だけで,間違った結論を導き,冤罪を生み出すのだ。恐るべき歪んだ社会。法学者,社会学者ですら,この異常を指摘しないとは,もはや自然治癒を見込めない,末期症状ということなのだろうか。

極めつけは,熊本の県民栄誉賞取り消し。呆れ果てて言葉もない。「逮捕された経緯は重い」って,馬鹿なのか? 「逮捕」が何を意味しているのか,何も分かっていないんだねぇ。地方行政の長たる県知事として不適格なのではなかろうか。しかも,過去に遡って栄誉を剥奪するとは。名誉県民とかならともかく,賞って,その時点までの貢献に対して与えたものでしょ。まったくもってナンセンス。共産主義国家でよくある,失脚した前リーダーの栄誉をすべて剥奪するやり方にも似ている。それなら,この知事が将来不祥事でも起こした暁には,遡って知事だったという記録を抹消して欲しいものだ。それにしても,万が一,事実無根で無罪放免ってなことになったらどう償うつもり?

日本は法治国家である。人は裁判によってのみ裁かれ,裁判は法に則って公正に行われなければならない。私刑は憲法第三十一条で厳に禁じられている。そして,推定無罪の原則。あくまでも,有罪が立証できなければ,無罪なのである。無罪の人が,間違っても不利益を受けるようなことがあってはならない。つまり,有罪が確定するまでは,本来無罪として扱わなければならないのだ。至極単純明快な論理なのだけど,理解できない人が多いのだとしたら全く嘆かわしいことである。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。