SSブログ

利用者不在のスキャン代行訴訟 [時事/評論]

INTERNET WATCHの記事によると,東野圭吾ら作家・漫画家7人が,書籍のスキャン代行業者を相手取り,スキャン行為の差し止めを求める訴えを起こしたそうだ。

私の好きな作家である東野圭吾が,こんな愚かな裁判の原告に名を連ねているのは残念でならないが,日本推理作家協会の理事長を務めているしがらみなどがあるせいだと思いたい。何故なら,理系出身の彼が,USより遙かに立ち遅れている日本の電子出版が,この問題の根源にあることを理解していないとは考えられないし,こんな非論理的な法解釈が成り立つと信じているとも考えにくいからだ。

CDをデジタル・プレイヤーに取り込むのと同様に,所有する著作物を個人的用途において複製(私的複製)することは法律で認められている。したがって,自分の買った本を自分でスキャンして電子データに変換することは,自分で利用する限りにおいて,合法である。その「自分で」というのは,文字通り「自分の手で」やらなければいけないということなのか? そんな訳はないはずだ。知識を持たない者,技術を持たない者,あるいは設備を持たない者は,他人の手を借りてはいけないのか? それこそ,著作物に対して正当な対価を支払った者への理不尽な差別である。ではスキャンの代行を商売にするのがいけないというのか。それもまたナンセンスだ。スキャンを代行するという労働への正当な対価を求めることを禁止する権利は誰にもない。思い上がりも甚だしいというものだ。では,どこに問題があるのか。純粋なスキャン代行については,著作権侵害など存在しない。してはいけないのである。

しかし,別の記事によると,東野圭吾は報道陣からの質問に対して,「『電子書籍を出さないからスキャンするんだ』という業者にはこう言いたい。『売ってないから盗むんだ』,こんな言い分は通らない」と発言したらしい。まったく,アホですな。長い作家生活で,論理的思考回路がすっかり錆び付いてしまったらしい。自分が問題のすり替えを行っていることにすら気が付かないとは。しかたない。私はこの人の作品が好きなのであって,人間が好きな訳ではないのだ。例え軽蔑すべき人間であっても,面白い作品をこれからも書いてくれさえすれば...。

「売ってないから盗むんだ」なんて,誰が言ってると? 読者を馬鹿にしているとしか思えない。スキャン代行の場合,あくまでもスキャンを実行する主体は,書籍を所有している人間だ。それを泥棒扱いするとはクズ以下の人間だろう。お前さん達が問題にしているのは,スキャンして出来た電子データが,不正に配布されることではないのか。ではなぜそちらの行為を裁判に訴えないのか。スキャン・データがなければ配布もされない,という論理に基づいているのかも知れないが,それは「殺人に使われるから,包丁やナイフの製造・販売を禁止するべき」という論理と同じだ。同じ論理を突き詰めれば,元々書籍が出版されなければ,スキャンだってされないのである。それならもう,出版なんてやめてしまえばいいのではないか。自分の著作物がそんなに大事なら,公開しなければいいのだ。出版という形で公開してしまった以上,もはや自分だけのものとして独占することは出来ない。出版することは,権利者に利益をもたらすだけでなく,その著作物が公共物の一部になることを意味する。だからこそ,著作権の保護期間は有限なのだ。

権利者は,著作権侵害の議論で,必ずといっていいほど,不法なデータの流通が著作者に本来入るはずの利益を損ない,それが著作意欲や機会を奪うことで,文化が衰退していく,などと言う。果たしてそうか? 所得が伸びず,物価も停滞している昨今の状況で,何故書籍だけ価格が上がっているのか。ハード・カバーなんて,1800円や2000円なんて当たり前になりつつある。果たして今売られている本の中に,そんな価値のあるものがあるだろうか。原料費や流通費,人件費の高騰を言い訳にしたいのかも知れないが,それではCDの価格がこの20年ほとんど上がっていないのは何故なのか。書籍出版側の努力が足りないだけではないのか。文庫本ですら,600円,700円もすることが,購買意欲を削いでいることに何故目を瞑るのか。

今回の訴訟に名を連ねているのは,所謂売れっ子作家ばかりだ。既に巨万の富を得ているにも関わらず,まだ金が欲しいのか? 銀座の高級クラブで遊ぶ金がまだ必要なのか? 高額所得者に当然期待される,社会的責任を少しでも果たしているのか。震災の復興に一体いくら寄付したのか。

電子出版で出版コストが下がった時に有利になるのは,無名の作家である。極端な話,無料で配布してもコストはかからないし,多くの人の目に触れて,それが面白いと分かれば一気にブレイクする可能性だってある。USにはそういう例が既にいくつかあるくらいだ。しかし,すでにメジャーになっている作家には関係ない。一度名前が売れてしまえば,つまらないものを書いてもそこそこ売れる。人は,面白いものには金を払うが,つまらないものには金を払いたくない。だから,本を買わずに違法に流通しているスキャン・データで済ませてしまうのだ。結局,それでは困る「名前だけ売れてる」作家と,それにおんぶにだっこの出版社が,日本の電子出版への移行を妨げている。つまり,文化を破壊しようとしているのは,こういう連中の方なのである。

この裁判の原告の連中,およびそれを支援している連中には,自分のやっていることをまずは真摯に反省して欲しい。それでも納得できなければ,断筆宣言でも全著作物の回収・出版停止でもすればよい。それでも,世の中が自分の作品を必要としてくれるかどうか。個人的には,そんな価値のある人物がこの中にいるとは思えないが。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。