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内柴裁判判決に見る,日本の司法の危うさ [時事/評論]

男子柔道の五輪金メダリストの内柴正人の,例の裁判の判決が出たらしい。裁判記録を見たわけでもないし,判決の全文を読んだ訳でもないから,どのように事実認定が行われたのか知りようもないので,内柴の有罪無罪を論じるつもりはない。ただ,報道されている情報だけを見る限り,極めて危うい判決に見える。一般市民が,誰もこれに疑問を感じていないのだとしたら,困った状況である。

報道によれば,判決で「被告の供述は全く信用出来ない」と宣うたらしいが,その「信用出来ない」根拠は何なのだろう。しかも完全否定。もっと証拠があったって,ここまで断定するのはふつう無理。先入観が入りまくりなんじゃないのか? そういう意味で,かなり胡散臭い。逆に,被害者の言い分を信用する根拠は何か。タイムマシンでその状況を見に行くことが出来ない以上,当事者の発言以外に拠り所とするものはないのだろうが,真実を語っているかどうかは,本人たちにしか分からないことだ。あるいは,単に意思の疎通が出来ていなかっただけで,それぞれが,自分は真実を言ったつもりなのかも知れない。いずれにしても,厳密には立証不可能な事件だと思われる。それなのに,何故裁判官は,内柴の供述を「信用出来ない」と決め付けるのだろうか。それは単なる心証なのではないか? そもそも,心証などという不確かなものを,公正かつ合理性・論理性が要求される法廷に持ち込むのは間違いではないのか。

法廷は,数々の痴漢冤罪を引き起こしているプロセスを,ここでも踏襲しようとしているように見えてならない。被害女性の証言を,優先的に信用すべき合理的な理由など何処にもない。なのに,何故か「被害者が嘘を吐く訳がない」という根拠のない論理が罷り通ってしまっている。確かに,本当に被害者なら嘘は吐かないだろう。では,被害自体が嘘だったら? 実際に,そういうケースでの痴漢冤罪の例がいくつもあるではないか。被害が嘘なら,本当の被害者は被告の側である。まずは被害の事実認定を公正に行うのが筋なのに,事の初めから偏向しているのだから,とてもではないが合理的な裁判とは言えない。同じ事が,内柴裁判にも言えるのではないか。

検察の言い分もおかしい。「性道徳観念が破綻していて,このまま社会に出すのは危険」というようなことを言ったらしいが,「道徳」は刑法で裁かれる対象ではない。道徳が破綻している人間なら,政治家にも官僚にもゴマンといるではないか。そいつらは危険ではないのか? 道徳が破綻しているだけで刑罰に処せるのなら,立証の難しい汚職に塗れている政治家を,片っ端から逮捕・起訴すればいいではないか。こんなことを検察が法廷で発言すること自体,日本という国家レベルの恥だと知るべきだし,裁判官は撤回を求めるべきである。それをしない裁判官からして,法廷道徳が破綻している。

求刑通りの実刑という点にも違和感を感じる。どんな犯罪であっても,求刑より減刑されるのが一般的だからだ。勿論,その事自体,不合理な慣習だとは思っている。しかし,今回の裁判で求刑通りとなったのには,懲罰的な意味合いを強く感じる。恐らく,内柴被告が罪を全面的に認め,形だけでも真摯な改悛の情を見せれば,減刑されたのではないか。日本人的な感覚では,理解できることのように思えてしまうかもしれないが,明らかに錯覚だ。本当に罪を犯していないのなら,罪を認めるわけはないし,反省だってしようがない。そもそも,その「本当に罪を犯したか」を認定すべく争っているのに,反省を求めることが矛盾している。推定無罪が大原則のはずなのに,推定有罪の頭があるからこうなるのだ。かくして,真の加害者が減刑される一方で,冤罪を主張する無実の人が,重い量刑を宣告されることとなる。この恐るべき不条理に,疑問を感じていない法曹関係者がいるとしたら,とんだ馬鹿者だ。

今更改めて言うまでもなく,日本は法治国家である。人は法によってのみ裁かれる。有罪か無罪かは,立証された事実に基づいて決定される。そして,有罪と立証されない限り,無罪なのだ。本来,感情的なものが入り込む余地がないシステムなのに,何故か日本では感情を刑事事件の法廷に持ち込む傾向が強い。法治国家の何たるべきかについて,正しい教育を受けておらず,自分で考える能力も持たない一般人は,この問題点に気付きもしない。真に憂うべき事態だ。日本の司法は,自分たちの信頼の根幹を,自ら揺るがしながら,何の危機感も感じていない。このままでは,日本は,戦前のそれにも似た,恐怖国家になりかねない。現に,人権擁護法案なんて危険なものが出て来ていたではないか。

内柴裁判の判決を,当然だとか,もっと重い量刑を課すべきとか言ってる輩がいるが,もし仮に,自分が同じ立場に置かれて,しかも全く身に覚えがないとしても,果たして同じ事を言えるのだろうか。こんな不合理な裁判で有罪にされて,納得できるのか? 決して他人事ではない。いつ自分の身に災厄が降り掛かってきてもおかしくないのだよ。


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