歌声に恋して [音楽]
小松未歩「輝ける星」(1997) |
何となく久し振りに小松未歩を聴いてみた。
いいなぁ。やっぱりいい。それにしても,なんでこんなに自分は小松未歩が好きなんだろう。しばらく聴いていて,ふと気が付いた。私はこの声が好きなんだということに。17年以上も聴いてきて,初めて気付いた。音楽とか歌とかそういうものと関係なく,この女性が歌っている時の「声」が好きなんだと。元々,声フェチだということは自覚しているが,そういう意味で,多分今まで聴いた中で,自分にとって最も理想的で魅力的な声なんだと思う。上手いとか,綺麗な声とかいうことではない。ただ好きなのである。どこがどうとは表現出来ない。かなり本能的な部分でそれを認識しているのだろう。
はっきり言って,ボーカリストとして歌が特に上手いという訳ではない。私は基本的に,歌の上手くないボーカルの曲は聴かないし,女性ボーカルも含めて,「カッコいい」ことが第一条件。でも小松未歩の歌をカッコいいと思ったことはない。どちらかというと,飾り気がなくて,自然体でストレートに声を出している感じ。でも聴きたくなる。勿論,曲が気に入らなければ聴くこともなかったし,ポップでキャッチーな曲を作る才能には類い稀なものがある。しかしそれだけではない。あの声であの曲を歌うのが聴きたいのだ。その声は心のどこかを掴んで揺すぶって離さない。ちょっと稚拙な歌詞でも,あの声で歌われるから切ないし,微笑ましいし,感動する。それで余計に曲が好きになる。「輝ける星」なんて最高の名曲だと思ってるけど,本人が歌っているのでなかったら,涙が出そうなほどに美しい曲だとは感じなかったのではないか。なるほど,そういうことだったのか。すとんとハマるように納得してしまった。
思えば,何枚目からかの彼女のアルバムの音には不満タラタラだった。打ち込み中心は仕方ないとしても,安っぽすぎるバックの音。とてもプロの仕事とは思えなかった。でも,それは最悪許せた。せめて歌声だけちゃんとしていれば。なのに彼女の声にまでエフェクトをかけまくっていたのだ。許せない。あの声が聴きたくてアルバムを買ったのに,なぜそれを変に加工してしまうのか。何故クリアに,ありのままの彼女の声を聴かせてくれないのか。それがずっと腹立たしかった。でもそれは音楽ファンとしての自然な憤りだと思っていた。そうじゃなかったんだな。気に入らないなら聴かなきゃいいだけなのに,結局それが出来なかったんだから。
たくさんの曲を残してくれたからまだいいけど,新しい曲が聴けないのは残念で仕方がない。折角同じ時代に生きているのに,今の声が聴けないのが淋しい。どうしているんだろうなぁ。中原めいこもそうだけど,やめるなら,せめてはっきり区切りを付けてからにして欲しいものだ...。
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