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粒子であり波である [本]

「量子論」を楽しむ本 ミクロの世界から宇宙まで最先端物理学が図解でわかる! (PHP文庫)
「量子論」を楽しむ本
PHP文庫/Kindle版

Kindleストアのセールで少し安くなっていた,「『量子論』を楽しむ本」というのを買ってみた。理系の人間なのだけど,「量子」には全く馴染みがない。大学の授業にあったかな? 単に聴いてなかっただけだろうか? 何だか訳の分からない理論,というイメージしかなかったのだが,何も分からないままというのも癪に障る。書評を見ると,難しい数式を使わず,量子論のイメージを比較的分かりやすく説明しているとのことだったので,ちょっと興味をそそられたのである。

読み終わってどうだったかというと,やっぱり量子論はよく分からない。電子は粒であり,波でもある,と言われても,絵が頭に思い浮かばない。そもそも,「波」の概念が,今まで見知っていたものとは違うようだ。媒質の動きや密度の変化とで伝わる「波」とは違うみたい。しかし,高校の物理で習ったような,波の性質は歴然として持っているという。2つのスリットに向けて1個の電子を発射した時でも干渉が見られる,ということに至っては,従来の常識では理解不能。2つのスリットに1つの電子なのだから,どちらか一方しか通らないはず。これが疑いなく真でないとすると,推理小説の謎解きなんて不可能になってしまうだろう。

納得できないのは,普段目に見えている世界の物理現象と,あまりにかけ離れているからだ。ただ,物質は全て波の性質を兼ね備えているが,そのサイズが大きいと無視できる程度になってしまう,という説明で,少しすっきりした。電子のようなミクロの粒子になると,相対的に波の性質が強く出てくるらしい。ミクロとマクロで,挙動の原理が全く異なると言われると信じがたいが,これなら一応辻褄は合う。

粒と波の性質を併せ持つということについても,マクロの世界にないからイメージできないだけで,我々の想像を超越した状態というのがきっとあるのだろう。見てない時は波で,見ると粒になってしまう,というと,いかにもインチキくさいが,観測をするという行為が,ミクロ・レベルでは,光の反射などにより,観測対象に何らかの影響を与えるのだ,と言われれば説明は付く。

ここまでは何とか付いてこられたのだが,不確定性原理辺りからどうも怪しい。観測が影響を与えるから,波の状態を正確に測定できないのはいいのだが,なぜそれが,量子論的には何事も不確定,ということになってしまうのだろう。論理に飛躍がありすぎる。粒子が分裂して,逆回転にスピンする2つの粒子が出来た時,片方を観測した瞬間に,もう一方のスピンの向きも分かる,という。つまり,観測するまでは,どちらのスピンの向きも不確定だ,というよく分からない論理。で,一方のスピンの向きが決まると,もう片方まで1光年の距離があっても,瞬時にその情報が伝わって,向きが確定するのだという。なんのこっちゃ。シュレーディンガーの猫もそう。放射性物質の崩壊で,箱の中の猫が死ぬ,という装置で,箱を開けて観測するまでは,猫は生きてもいるし死んでもいる,というやつ。この話で,放射性物質が崩壊しているかしていないかも,観測するまで決まらない,というのが理解不能。ほっとけば自然に崩壊していくもんなんじゃないの? なんでそこが不確定じゃないといけないのか,電子の波の議論からどう繋がっているのかが分からない。

一般向けに分かりやすく説明するのがこの本の趣旨なので,途中の議論をはしょっているだけなのかも知れない。量子論のようなものを,薄っぺらい一般向けの本を1冊読むくらいで,ちゃんと理解出来る訳もないのだろう。ただ,読む前に比べて,ほんの少しだけ,理解が進んだような気がする。取っつきにくそうな量子論の世界を,予備知識なしに垣間見られるという点では,なかなかの良書なのかも知れない。といっても,他の本を読んだことはないのだけど。せっかくなので,この本をウォーミング・アップとして,他の本も読んでみたい気分になってきた。

パラレル・ワールドとか,SFのような話が出て来てしまうのに抵抗はあるのだが,今の科学レベルでは,すっきり説明できないような自然界の真理というものが,きっとあるのだろうね。とはいえ,今の常識に凝り固まった頭で,全て受け入れようとすると,気が変になりそうなので,無理のない部分だけ理解出来たように思っておけばいいのかも。どうせ完全に理解出来ている人はいないという話だし。

量子論にも匹敵する,物理学上の大発見が,またいつかきっとあるのだろうな。そうしたら,量子論をもっと自然に理解出来るようになるのかも知れない。それが死んだ後だったら悔しいなぁ。


グリシャムの「自白」 [本]

自白(上) (新潮文庫)
ジョン・グリシャム著「自白」(新潮文庫)

ジョン・グリシャムの「自白」を読んだ。例によって,hontoの500ポイント・キャンペーンの時に3千円に少し足らず,新潮文庫の新刊のリストの中から,ちょっと興味のありそうなものを選んだのだった。だから,優先的に読む動機もなく,数ヶ月の間放ったらかしになっていたのである。

ストーリーは,無実の罪で数日後に死刑になる若者がいるという状況で,自ら真犯人だと名乗りを上げる人物が現れ,何とか死刑執行を阻止しようとするお話。と,これだけならよくあるサスペンスものっぽいのだが,著者がグリシャムだけあって,テキサス州の死刑制度や司法制度,人種差別と冤罪が産み出されるプロセスが,極めて克明に描かれている。日本でもUSに倣って,取り調べの可視化が進められているが,そのUSで,未だに悪しき慣習とも言うべき違法な取り調べが行われていることに愕然とする。警察という密室の中で,ありとあらゆる不当な手段が駆使され,それが隠蔽され,無理やり引き出された自白が,有罪の唯一決定的な証拠として採用される。警察が嘘を吐くことは,正当な手段として認められている,というのにはびっくり。公務員の免責と併せて,とても公正な取り調べを期待できないシステム。全ては,警察・司法に携わる人間の良心のみに依存しているのだ。なんと危うい正義なのだろう。そして,テキサスは,被害者の死体が見つからなくても,殺人罪で有罪にすることができる,稀有な州なのだそうだ。さらに,黒人の被告に対して,白人ばかりを陪審員に選ぶ法廷。本来無作為に選出されるはずなのに,システム側の人間には,いくらでも手段があるらしい。もちろん,フィクションであり,どこまでが取材に基づく事実に即したものかは分からないが,描かれていることに無理は感じられない。世界有数の人種差別の国であればこそ,このくらいのことは普通に行われていても不思議はない。

死刑を扱う創作のご多分に漏れず,作中では死刑制度廃止論議が盛り上がる様も描かれている。日本と違って,宗教的な観点からも,死刑制度の是非は議論の対象となるようだ。私は,このブログでも再三論じているように,死刑廃止には反対である。やむにやまれず罪を犯してしまう人々とは違って,常習者や犯罪組織など,故意に犯罪を犯すものは,罪と量刑とのバランスを考えるからだ。極刑を廃止してしまえば,極刑が相応の犯罪を抑止できない。理想を語るのは良いが,現実問題として,現在刑罰以外に,犯罪を抑止できる効果的な手段があるだろうか。死刑があるから,犯罪者が死刑に処されるわけではない。死刑に相当する犯罪を犯す者がいるから,死刑が執行されるのである。

冤罪の危険があるから死刑を廃止すべきだという意見もあるだろう。この小説の中にも登場する。しかし,これは一見合理的に見えて,まったく後ろ向きな問題解決方法である。そもそも冤罪は,あってはいけないのだ。冤罪が産み出されるシステムの欠陥をもっとしっかり研究して,冤罪のない司法・警察システムを作り上げていかなければならない。死刑でさえなければ,冤罪も後から償えるなどと考えるのは,勘違いも甚だしい。量刑の軽重は関係なく,無実の罪で償いを強制することは,人間の精神に決して癒えることのない傷を,深く刻むのだ。

但し,考えの浅い大衆は,短絡的に冤罪=死刑廃止に結論付けたがるだろう。作中で語られる死刑廃止論議は,著者の意見というより,現実の世論の動向をシミュレートしたものだと考えるのが妥当に思える。そして,世論を煽るのは,USでも日本でも,いつも無責任なマスコミである。こうしたことを踏まえて,この本の読者は,感情的に流されず,どうあるべきかを考える切っ掛けとすべきだろう。

そんな感じで,社会派ドキュメンタリー・タッチの,なかなか重厚なお語であった。敢えて苦言を呈すれば,ちょっと長過ぎる。上下巻で900ページ近くも必要なストーリーではないように思う。様々な局面を,詳細に写実的に描写することで,リアルなイメージを伝えたかったのかもしれないが,一方で全体としてのスピード感に欠けてしまった感があるのが残念。英米のこの手の本は,とかく翻訳すると上下巻になるような長編が多いが,そうしないとまずい理由でもあるのだろうか。この辺りは,文化の違いといえるのかもしれない。


ようやく「聞く力」を読む [本]

聞く力―心をひらく35のヒント (文春新書)
阿川佐和子著「聞く力」

だいぶ前に買った,阿川佐和子さんの「聞く力」をようやく読むことが出来た。さほど分量のある本ではないので,読み始めてしまえばほんの2時間ほど。そのくらいの時間,作れなかった訳ではないのだけど,一旦積んでしまうと,読み始める切っ掛けが難しい。

所謂,ハウツー本とか自己啓発書とかが嫌いな私だが,インタビュアーとして定評のある阿川さんなので,何か特別な秘伝の技でも語られているのかと,正直少し期待していた。が,実際には,「目から鱗が落ちる」というようなことは書かれていない。日頃から,人とのコミュニケーションに気を遣っていれば,誰しも経験があるようなことばかり。逆に言えば,阿川さんのようなプロ(というと厭がられるかも知れないが)であっても,我々一般人と同じことで悩み,試行錯誤しているのだ,ということが分かって,後ろ盾を得た思いがした。

なので,この本をハウツー物としてだけ読むと,肩透かしを食らうかも知れない。この本には,こうすれば絶対,という答は書かれていない。結局のところ,相手を見て,相手を気遣い,相手の話をよく聞いて,話を紡いで行く,ということしかないということなのだ。相手を見るということは,ただ言葉を認識するだけでなく,相手の表情や仕草,声の調子やトーン,といったことから,相手の気持ちを推し量ること。要は,インタビューに限らず,人と人とのコミュニケーション全般に当てはまることだ。それは,メールやチャットのような文字だけのコミュニケーション手段では難しいことであり,直接会って話すことの情報量の圧倒的な多さを示している。文字だけではなかなか真意が伝わらないこと,時に誤解を招いてしまうようなことでも,会って話せば間違いなく伝わる。自分の話した事へのフィードバックがすぐに得られることで,話が大きく食い違って行くことを防げる。やはり,人同士のコミュニケーションにおいて,直接会って話すということは重要なツールなのである。最近,それに類することで少し悩んでいた私にとっては,我が意を得たり,といった心境だ。

それはともかくとしても,永年の豊富なインタビュー経験にまつわるエピソードは,どれも軽妙でテンポが良く,それだけでも読み物として充分に面白い。この人,TVでお喋りしている時と,本の中での語り口がほぼ同じなので,トーク番組でも観てる感じですいすい読めてしまう。羨ましいような文才は,やはりDNAも影響しているのだろうか。もっとも,父上の書いた本を読んだ記憶はないのだが。

実は,急にこの本を読もうと思ったのは,今朝の「はなまるマーケット」の「とくまる」のコーナーに,阿川さんが出演されていたからだった。来月末には,「正義のセ」という,女性検事が成長していく姿を描いた小説が発売されるそう。テーマ的にもちょっと気になるところだが,ハードカバーは高いからね。少し立ち読みしてから考えるとしよう。


フィクションと片付けられない「悪の経典」の世界 [本]

悪の教典 上 (文春文庫)
貴志祐介著「悪の経典」(文春文庫)

ネタバレ注意。

映画化されたと言うことで,名前だけはよく耳に入ってきていた「悪の経典」という小説。タイトルが興味深かったので,あらすじを調べてみると,教師がクラスの生徒を皆殺しにする話らしい。また,「バトル・ロワイヤル」のような,架空の世界のバイオレンスものだろうか。殺人が行われているところを,延々と描写しているような作品には興味がない。それが,書店で見掛けてつい手に取り,少し立ち読みしてみたところ,どうも印象が違う。途中でやめてもいいか,というつもりで文庫の上巻だけ購入して読み始めたところ,通勤の一往復ですぐに読み切ってしまった。

内容は,生徒に絶大な人気を誇る高校教師が,実は自分の目的のためには,人を殺すことを何とも思わない異常人格で,実際にその恐るべき犯行の様子が描かれているお話。想像していたような虚構の設定ではなく,冒頭からいきなり皆殺しが始まる訳でもない。主人公(?)はただの異常者ではなく,心理学を初めとして,様々な分野の幅広い知識を持ち,人心掌握術や問題解決能力に長けた,スーパー教師。いや,普通にやれば,どの世界でも大成功間違いなしと思われる,優秀な人物なのである。そんな人物が,自分に都合が悪い人を,能力を駆使して次々と排除して行く。排除される側にもいろいろ問題があったりするので,一方的に悪人とは感じられない。犯罪者を主人公にする場合は,読者の犯罪者への共感を誘うことが必須だと思うので,それが著者の狙いなのかも知れない。

慌てて下巻も購入し,続きを読んだのだが,こちらは中盤から,単なる大量殺人の実況中継になってしまった。それまで緻密に計画を立てて犯罪を遂行していた主人公が,いきなり大雑把になってしまったところには,大いに違和感を感じた。もっとも,これがなければ,物語全体としてだいぶ地味になってしまったのだろうけど。個人的には,生徒を殺して回る部分のストーリーには,なんの魅力も感じなかった。最後,いよいよ真相が明らかになり,警察に逮捕されて一件落着...と思いきや,犯人の口から発せられた言葉に驚いた。なるほど,そう来たか。

ここに至って,この作品は,単なるバイオレンス小説ではないと認識した。犯罪者の精神状況による責任能力の回避については,過去にも多くの作品のテーマになっているので,特に目新しいものではない。しかし,これだけの凶悪犯罪を犯してもなお,責任能力がないと判断されれば,刑を免れる可能性があること。それを正義と人権の名の下に,全力を挙げて勝ち取ろうという弁護団の存在。両親を殺された(実際は自分で殺しているのだが)不幸な生い立ちに対する世間の同情。こうしたこと全てが,妙にリアリティに富んでいる。少し知恵の回る人間なら,精神鑑定を騙すことは,それほど難しくないと聞く。この主人公ほどに優秀な人間はそうはいないかも知れないが,部分的であれば同じように立ち回れる人間も少なくないことだろう。そう考えると,恐ろしい気がする。

人の心は外からは決して見えない。言葉は偽れるし,精神鑑定も絶対的に信頼できる手段ではない。罪を本当に反省しているかどうか,神でもない裁判官などに分かるはずがない。そんな危ういものに,善良な市民の安全が依存しているのである。犯罪者に対してまで,性善説を信じることは,果たして正しいのだろうか。悪人からしてみれば,善良で信じやすい人ほど手玉に取りやすい相手はないのではないか。

余談ではあるが,優秀な人間の割には,殺人の手口の詰めが甘いというか,完全犯罪にはほど遠い印象ではある。そのせいで,過去に別の高校で起きた生徒の連続自殺について,警察がこの教師の関与を疑がったにも関わらず,証拠が見つからなかった,という点に今ひとつ説得力がない。この辺は,本業がミステリーでない著者には荷が重かったのかも知れない。


自分で考える力 [本]

伝える力 (PHPビジネス新書)
池上彰著「伝える力」(PHPビジネス新書)。続編も出ているようだが,当然手に取ったことさえない。

私は池上彰氏があまり好きではない。茂木健一郎のように積極的に嫌いという訳ではないが,氏の出てるTV番組は敢えて避けるようにしている。なんであんなに持て囃されるのか,理解できないというのが主な理由だ。へそ曲がりだと思ってもらって,一向に構わない。元来ジャーナリストという人種に嫌悪感を持っているということも一因だろう。とにかく,好きじゃないのだから仕方ない。

当然ながら,氏の書いた本なども,読もうという気はさらさらなかった。特に,書店でよく見かける「伝える力」とかいう新書。こういう,ビジネス書というか自己啓発本というか,そういうものは,そもそも大嫌いなのである。

それなのに,何故読むことになったかというと,今月初めから開始された,auのブックパスのせいだ。auのスマートフォンで読む電子書籍サービス。来年の3月いっぱいまで,月々390円のスマートパス料金を払うと,ブックパスの読み放題コースが無料になるというキャンペーンをやっている。電子書籍に,紙の書籍と変わらない金を払う気はさらさらないが,定額で読み放題というのなら別だ。スマートパスのアプリ取り放題には興味がないけど,電子書籍がが390円で読み放題なら,充分お得な感じ。お試しで数ヶ月利用してみても損はなさそうだ。そんな訳で,早速登録したのである。

ところがこのブックパス,登録して初めて気が付いたのだが,読み放題コースには,コミックと実用書,グラビア本しか含まれていない。小説はないのだ。積極的に買う気にはならないけど,話のタネにちょろっと読んでおいてもいいかな,と思うような小説を期待してたのだが,思いっきり裏切られた。コミックだって,読みたいものはとっくに紙版で買って読んでるから,興味を引くものがほとんどない。第1巻だけ無料なんていうのは,エサをまかれてるみたいで気分が悪い。なんだか,あまりにしょぼいサービスのように思えてきた。

とはいえ,もはや登録してしまった以上仕方ない。せめて元を取るべく,少しハードルを下げてでも,読む本を物色することにした。で,ちょうど実用書の人気ランキング・トップにあったのが,「伝える力」。タダなら読んでやってもいいか,という訳である。

文章はかなり平易で読みやすく,スイスイ読めてしまう。結局,通勤の1往復の時間で,あっさり読了してしまった。しかし,それって逆に言えば,その分内容が薄いってことではないのか? ビジネス書って,単行本でも1ページの文字数が少ない上に,ページ数も少ない本が多いが,これもご多分にもれず,ってとこか。PHPビジネス新書ということだが,新書にしては時間が掛からなすぎる。そもそも岩波新書などと同列に論ずるべきものではないのだろうか。

情報量の話はさておき,内容について。書かれていることについては,基本的に支持したい。但し,私にとっては何も新しいことがなかったというのが率直な感想。他の本で読んだことがある,という意味ではない。これまで生きてきて,自分で考えて辿り着いたことばかり,という印象なのだ。別に自慢話をする意図はなくて,誰だって自分で考えて生きて来さえすれば,自然と到達するものだろうということ。この本のターゲットは,40歳以下くらいのビジネスマンだということだが,30代にもなって,この本で初めて知ることがあるようでは,大人として心許ない限りと思える。それとも,今の若い世代は,こんな基本的なことでも,いちいち教えてもらわないとダメなのだろうか。マニュアル世代というのか知らないが,自分で考えるということをしないのだろうか。教えてもらったほうが早い,なんてのは論外である。自力で辿り着いてこそ,身になるというものなのだ。「伝える力」なんかより,まず「自分で考える力」を養うべきではなかろうか。

勿論,誰でも辿り着く,なんてのは理想論で,この本に書かれていることを知っているかどうかに関わらず,実践できていない人が多いのは事実。他者の意見に聞く耳を持つことが重要,とか,謙虚に学ぶ姿勢がないと成長はそこで止まる,とか,聞かせてやりたい輩はそこら中にいる。読んだだけじゃ身につかないにしても,目に触れる機会が多いのはいいことなのかも知れない。自分で辿り着いてる人でも,今ひとつ自信のない人が,これを読んで再確認するのは良いかも。

このくらいの内容と程度の本なら,自分でも書けそうな気がするが,私が書いたところで売れやしないだろうなぁ。それがまぁ,この人の持つネーム・バリューなんだろう。日本人はマスコミに弱いし,マスコミに関わってるだけで,ネーム・バリューが上がるっていうのも,釈然としないところだ。


まぁ,幻冬舎文庫だしね...。 [本]

プラチナデータ (幻冬舎文庫)
東野圭吾「プラチナデータ」(幻冬舎文庫)

東野圭吾著「プラチナデータ」読了。読み始めてから約1週間。通勤帰りの電車の中で,しかも半分くらい眠っていた割には,早かったと言えよう。そういう意味では,読み物としてまずまず面白かったと認めざるを得ない。しかし,東野圭吾作品にしては,気に入らない部分があれこれ。

内容は,国民のDNAデータベースを構築し,犯罪捜査に活用するシステムが採用されることになった近未来のお話。ちょっと考えただけでも,近い将来には実現しそうにない設定だ。技術的にということでなく,人権や倫理の観点で無理があり過ぎる。いくらものを考えない大衆でも,世論の強烈な反発は必至。それなのに,それを無理矢理導入する過程まで描写していて,リアリティが全く感じられない。

東野氏は,この小説で,DNAを犯罪捜査に利用することの危険性を訴えたかったのだろうか。いや,さすがにそんなこと,改めて訴えるまでもないだろう。そう考えると,彼の得意な,社会問題を扱うシリアスなミステリーとは一線を画している。そもそも,登場人物の姓を山の名前で統一するなど,安っぽい遊びまで取り入れているので,元々そんな気はなかったのだろう。

さらに言えば,話の鍵となっているコンピュータ・ソフトウェアの扱いが素人臭い。この人,電気工学科出身だそうだが,コンピュータのことあんまりよく分かってないんじゃなかろうか。アルゴリズムだ数学の天才だのを持ち出しているが,何がどう凄いのかはまるで伝えられていない。著者が凄い凄いと言ってるだけ。まるで,出来損ないのSF映画に出てくるような描写には,心底がっかりした。これが作品をさらに安っぽくしている。よく分からない素人には,そういう方が受けるのだろうか。いや,著者もよく分かっていないから,敢えて近未来の設定で,SFチックにすることでお茶を濁しているようにも思える。

そんな訳で,私が全体から受けた印象は,単なる大衆娯楽小説,といったところだ。あるいは,ちょっと気の利いた少年向けマンガ向けの題材と言ってもいい。特に何かに感銘を受けることもなく,淡々と読み終えてしまった。約500ページと,そこそこの分量はあるので,暇潰しにはもってこいかも知れないが,それが目的でなければ,敢えてお勧めしない。

まぁ,私の場合,人にそう言われても,自分で読んでみないと気が済まないのだろうから,仕方がないね。気を取り直して,次の本に移るとしよう。何しろ買ったまま放置されてる本が山積み...。


「風の盆恋歌」 [本]

風の盆恋歌 (新潮文庫)
直木賞受賞作家,高橋治著「風の盆恋歌」。不倫ものというと敬遠する向きもいるかも知れないが,そんなドロドロ感はない。

以前,酔芙蓉の写真を載せた後,古い女友達から教えてもらったのが,高橋治著「風の盆恋歌」。何しろ読むべき本が山積みだったので,順番が回ってくるまでにだいぶかかったが,今日読了した。

端的に言ってしまえば,不倫ものの小説である。元々日本文学にはあまり馴染みがなかったし,不倫ものでは有名な「失楽園」も,原作も映画も観たことがない。さぞかしどろどろした愛憎劇の物語なのかと思いきや,とても透明感のある,極めて美しい作品だった。

「風の盆」というのは,富山県八尾(やつお)町で行われている祭のこと。「おわら」と言ったら,その名前を聞いたことがある人は多いのではないだろうか。実は,個人的に祭とかあまり好きではないので,それだけ聞いても特に心浮き立つような感覚は全くない。しかしこの作品では,そうした「風の盆」の情景が,極めて克明に描写されている。出だしから,八尾に流れる川の水音が,極めて写実的に描写されていて,読んでいるだけで本当の水音に包まれていくように感じるほど。「風の盆」についても,どんな曲なのかはさすがに分からないまでも,それを奏でる三味線と胡弓の音色,そして歌と踊りの動作の様子まで,そこに流れ,目に見えているかの如く感じられるほど,微細に描かれている。著者は,果たして物語が書きたかったのか,「風の盆」を書きたかったのか,と思うほど。しかし,これを読んでしまうと,祭に興味のない自分ですら,一度この目で見てみたくなってしまうほどである。

この作品の中で,酔芙蓉は,主人公が八尾に滞在する時の玄関口に咲いている花として,象徴的に登場する。酔うて色づく酔芙蓉に,主人公達の情感が映し出されているかのようで,なんとも切ない。

主人公の男女は,お互いに強く引かれつつも,結ばれることなくそれぞれの人生を歩み,別々の家庭を築いて30年を過ごして来たのだが,その思いは消えることなく,再び燃え上がり,悲しい結末を迎えるというストーリー。ある意味,ありきたりではあるが,男女の情などと言うものは,所詮は単純なものなのだろう。それにしても,こういう物語が,これだけさらっと仕上がっているのは不思議。これこそ,八尾と風の盆を舞台にしたからこそなのだろう。

不倫について,倫理的な善悪を論ずるつもりは毛頭ない。そんなものは,所詮,結婚という社会システムを常識的に維持しようというだけのことに過ぎない。そもそも,恋愛感情などと言うものは,理屈で割り切れるものではないのだ。それを無理に縛り付けて,誰が得をするのだろう。経済的なことや,世間体が理由だというのなら,そんなに虚しいことはない。

一人の男として,想う女に,これだけ想われて死ねるのなら,そんなに幸せなことはないだろうなと思った。


東野圭吾の「聖女の救済」 [本]

聖女の救済 (文春文庫)
東野圭吾著「聖女の救済」(文春文庫)

「贖罪」に続いて,東野圭吾の「聖女の救済」を読了。この勢いを借りて,山積みの未読本が少しは減るとよいのだが。

実を言うと,この本も最初の百数十ページまでは,今ひとつ読むスピードが乗って来なかった。恐らくそれは,私があまり「ガリレオ」シリーズを好きではないせいだろう。科学の知識で,警察に解けない難事件を解決する大学教授,っていう古い探偵ものみたいな設定が野暮ったく感じるのと,肝心の科学の部分が,どうも素人臭い,取って付けたようなものに思えるのがその理由である。さらに言えば,フジのTVシリーズで,福山雅治がガリレオ・湯川学に扮したイメージも悪い方に働いている。

しかし中盤,事件解決の方向性が見え始めて来た辺りから,俄然ペースが上がってきて,あとは一気に読んでしまった。使われているトリックそのものは,科学的に特に高度なものではないのだが,その発想に驚いた。そして,その殺害動機となる切ないストーリー。被害者は,冒頭から,殺されても自業自得のような人物として描かれていたため,どうしても加害者の方に同情的になってしまう。単なる謎解きミステリーに終わらないところが,東野圭吾の真骨頂と言えるだろう。

ただし,証明不能のトリックを崩すことになった,犯人のミスがちょっとお粗末。あれほど用意周到にやってきて,最後にあんな間抜けなミスを犯すだろうか。事件をどう解決するかで行き詰まって,ああするより他に考え付かなかったのだということか。トリックがストーリーと見事に絡んで,より切なさを増す,出色の出来だっただけに,その最後の詰めの部分が残念でならない。

実際のところ,この歳になってくると,ただの謎解きの推理小説ではもう物足りない。推理やトリックはただのスパイスであって,小説である以上,ストーリーで如何に感動させるかが勝負なのである。そうでなければ,推理クイズやなぞなぞで充分なのだ。そういう意味では,個人的には,「ガリレオ」シリーズより,加賀圭一郎シリーズの方が好みに合う。しかし,この「聖女の救済」は,同じガリレオものであり,直木賞受賞作となった「容疑者Xの献身」に通じるものがある。あの作品が好きであれば,間違いなく気に入ることだろう。

因みに,「聖女の救済」というタイトルの意味も,事件の真相とともに明らかになるのだが,そこに至るまではさっぱり見当もつかない。ある意味ネタバレともいえるタイトルだが,絶対にバレないという自身から来る,著者一流の謎かけと言えるのかも知れない。


湊かなえの「贖罪」 [本]

贖罪 (双葉文庫)
湊かなえ著,「贖罪」(双葉文庫)

湊かなえの「贖罪」を読了。

B.フリーマントル氏の2冊に4ヶ月かけたのに比べると,あっさり読み切ってしまった。全編一人称の手紙および語りの形式になっているので,読みやすいという点は否めない。しかし,このスタイルは「告白」と全く同じ。このスタイルが最高だと自負しているのか,編集に強制されているのか,はたまたこれ以外に書けないのか。いずれにしても,「告白」の時のような新鮮さはもはやない。

この小説,今年の1月から「連続ドラマW」としてWOWOWで放送されたドラマの原作である。「告白」の出来がよかったのと,予告映像に出てくる,主演・小泉今日子の演技が余りに怖いので,かなり期待して観たドラマだった。ドラマについては,結論から言うと,面白くない訳ではないが,期待していたほどではなかった。ある事件を切っ掛けに,人生を狂わされた4人の子供たちの,それぞれのエピソードが1話ずつと,事件の真相が明らかにされる最終話の5話構成。4人のエピソードは,単独ではなかなか興味深かったが,元々の事件との関連性が今ひとつ希薄というか,無理矢理な感じがしてしまった。そして,事件の真相というのが今ひとつ。ストーリーとしては,衝撃的などんでん返しになってるはずなのだが,何故かそれほど驚きはしなかった。ちょっと消化不良気味に感じたドラマだったのである。そんな訳で,原作を読んでみたいと思っていたのだが,まだ文庫化されていなかったため断念。それが,先頃書店の新刊コーナーに並んでいるのを発見したので,早速買ってきたのである。

原作は,ドラマと同じ5部構成になっていて,概ね原作に忠実にドラマ化されているようだった。とはいえ,ドラマでは若干無用なアレンジが加わっていたので,やはり原作の方がすっきりと読める感はある。ただ,ドラマで感じた消化不良感は変わらず。良かったのは,ドラマでは分かりづらかった,細部の設定がはっきりしたことくらいだろうか。

そもそも,子供を殺された母親の復讐,ってところが「告白」と被るので,手段が違うと言っても,二番煎じ的な印象を受けてしまう。作品の出来や,ストーリーのインパクトについても,どうしても「告白」と比べてしまうので,不利になってしまうところはあるだろう。ただ,冷静に比較しても,「告白」の方がよく出来ていると思うので,出来るならこちらを先に読む方がいいかもしれない。

湊かなえという作家には少し期待をしていたのだが,残念ながら,別の作品も読んでみよう,という気分には今はなれない。


北杜夫の追悼ムックと,実書店の存在価値 [本]

北杜夫 ---追悼総特集 どくとるマンボウ文学館 (文藝別冊/KAWADE夢ムック)
文藝別冊 「北杜夫 どくとるマンボウ文学館」

最近よく利用しているネットショップ,hontoの500ポイント・プレゼントの金額まで,あと千円ばかり足りない。何かめぼしいものがないかと,近所の書店をうろうろしていたら,目に懐かしい三文字の名前と,白髪の優しいお顔が目に留まった。先頃亡くなられた,北杜夫氏である。

見つけたのは,河出書房新社から出ている,「文藝別冊 北杜夫 どくとるマンボウ文学館」というムックで,北杜夫氏の追悼特集である。氏のエッセイや対談集を散々読んだ人にはお馴染みのお歴々の名前がずらりと並ぶ。単行本未収録のエッセイや対談も収録されており,永らく読んでいなかったとはいえ,北杜夫ファンとしては見過ごす訳には行かない。しかもムックなので,一旦売り切れてしまうと,手に入れるのは困難になる可能性がある。

...のだが,さすがに出たばかりなので大丈夫だろうと,家に帰ってきてからhontoで他のと併せて注文した。これでめでたく500ポイントもゲット:-)

それはともかく,こういう思いもかけない本に巡り遭える場として,やはり実書店というのは,未だに得がたい価値を持つ場所なのだと思える。いくらネット書店が便利だからといっても,これと同じユーザー・エクスペリエンスは,未だ実現できていないはず。ユーザーが過去に買った書籍から,お勧めの本を紹介する,なんてことは普通にやっているが,あれでは意外性が全くない。新しい出逢いが生まれにくいのだ。それに,私のように,北杜夫氏の本をネット書店で買ったことがない場合には,そういう嗜好を持つというデータそのものが存在していないことになる。

一方で,書店に並べられている書籍は,本の小さな町の本屋だって,軽く数百冊は書棚に並べられている。ずらっと並んだ背表紙のタイトルをスキャンして,自分の好みに合いそうなものを見つけ出す人間の能力は,真に素晴らしい。恐らく,全く同じことをネット書店上で再現することは,技術的には可能だろう。しかし,それが即ち実書店でのエクスペリエンスの代替になるとは考え難い。ブラウザ上を,所狭しと本のタイトル文字が埋め尽くしていたとしたら,ただ目がちかちかして,とても情報を拾い出すことは出来ないだろう。やはり,ネット書店にはネット書店に合ったやり方で,似たようなエクスペリエンスを提供する方法を考える必要がある。

そういう代替手段が見つかるまでは,実書店にもまだまだ頑張って欲しいものだ。...なんてことを言いながら,実書店で見つけた本をネット書店で買っているようでは,実書店の衰退に手を貸していると批判されても仕方がない。ただ,在庫の点ではネット書店が有利なのも否めない。どちらも一長一短があるのだ。ということは,どちらか一方が生き残るかどうかという議論ではなくて,実書店とネット書店が連携して,共存を図っていく形が一番望ましいのだろう。実際,hontoなどはその辺を模索しているように思える。

いずれにしても,業界のエゴではなく,ユーザーのためになる形で,書籍販売という業態が進化していくことを願ってやまない。


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